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「平成万葉集」を見て

録画してあった「平成万葉集」を観た。年末年始のテレビ番組には、毎年あまり見るべきものがない(子供の頃はいつも特大号のTVガイドを買い込んで、年末の段階から真剣にいつ何を見るかを吟味して、テレビの前にずっと張り付いていたというのに)。普通にニュースや情報番組や時代劇(「家康、江戸を建てる」のような)をだらだらとやってくれている年末年始であってもこちらはまったく構わないのだが、それだけでは多くの新春気分の人々はちっとも満足できないということのようだ。やっぱり今年もまた、何の新味もないいつもの顔ぶれのタレントたちを寄せ集めた大騒ぎの模様が何とかスペシャルと銘打たれた長尺の特別番組としていくつも放映されていた。ああしたものを楽しく見れる人々がこの世の中の大方であるとするならば、わたしが観たいものなどほとんどやっていないのが当然といえば当然というものであるのだろう。それぐらいに世間や社会の感覚からは大幅にズレてしまっていることを改めて思い知らされるというのも、年末年始の醍醐味であるのかもしれない。
3日にやっていた「北アルプスドローン大縦走」をチラッと見て、やはりもさっとしていながらも微妙に嗄れたところのある吉岡里帆の声のよさをあらためて痛感させられた。そんなことがあって、その前日に録画しておいた「平成万葉集」をやや遅ればせながらに視聴してみたというわけである。これを録画しておこうと思い立ったのは、昨年の「見えないものが見える川」での吉岡のナレーションがなかなかに素晴らしいものであったからにほかならない。女優としての吉岡里帆の活動については、実はあまりよく知らない。頻繁にCMなどで見かける人だなという程度の認識である(あの口内炎を痛がる表情はピカイチだった)。それぐらいしか知らないにも関わらず、声や語り口に独特の個性があり実に得がたい魅力を感じずにはいられなかったりもするのである(URでアールとかカラー&コンフォートなんたらかんたらとかでよく見かける)。もちろん、売れっ子の女優であるのだがらルックスも猛烈にかわいらしく魅力的ではある。だがしかし、やはり吉岡里帆といえば声なのだ。これは個人的な意見であり、どちらかというと私が好むようなタイプの番組にあの吉岡里帆の声や語りがばっちりマッチしていたというだけのことであるのかもしれない。
そんなこんなで吉岡里帆の語りを目当てに録画していた「平成万葉集」であったので、事前段階ではあまり内容の面の充実や深みに対して過度に大きな期待はしていなかった。だがしかし、録画を見てみたら、これがかなりよい番組であったのである。平成というひとつの時代が、紛うことなく新しい時代の万葉集と呼べるような秀逸なる短歌群を生み出していたことを、この番組はやんわりと優しい手つきですくい上げて、見事なまでに浮き彫りにしてくれていた。この平成という時代の三十年間の流行語や風俗の移り変わり、時代を形作ってきた様々な出来事にまつわるエピソードを、細やかかつ丁寧に折々の歌の世界へと織り込みながら。
特に、流行語の紹介のミニコーナーにおいて吉岡里帆が炸裂させた「じぇじぇじぇ」には、なんともいえないグッと胸に迫るものがあった。朝の連続テレビ小説『あまちゃん』のオーディションでは最終候補まで残りながら惜しくも落選したという吉岡里帆が、時を経て静かなリヴェンジを成し遂げるかのようにあの一世を風靡したフレーズをいってのけていたのだから。もしも、能年玲奈が演じてブレイクした『あまちゃん』の主役を吉岡里帆が演じていたら、一体どんなことに(一体どんな平成の終わりに)なっていただろうかと想像せずにはいられなかった。
ツイッターを日常的に使用し140文字以内の投稿文を読み慣れている現代の人々は、おそらくツイッター以前の人々よりは少なく短い文字列のほぼ数語からなる極めて短い文章によるコミュニケーションに、はるかに身近に親しんでいるであろうし、完成された文章をじっくりと読み込むよりも短い言葉の連なりから何かを直感的に連想的に感じ取る能力も驚くほどに向上してきているのだろう。それもそのはずで、少しでもツイッターを眺めてみれば、そこには膨大な量の生きた言葉が往き交い飛び交いポンポンと投げっぱなしにされていて、まさに文字の渦の中に連れ込まれて自らがそこに漂流してしまっていることに否が応でも気づかされる。
平成の最後期、ツイッターや各種のSNSの登場によって、ケータイが隆盛を極めていた時代(何かというとすぐに電話で直接相手に突撃を仕掛けて確認してみる時代)に、ともすると半ば死にかけて顧みられなくなりつつあった文字と言葉の力が、スマートフォンのディスプレイ越しに大きく復活を遂げているのかもしれない。生きた言葉が、デジタルのネットワークを通じて感情や感覚や思考をデータに変換し光速でどこまでも運んでゆく時代に、そこにこの時代ならではの言語感覚をもととする詩情が生まれ短歌が詠まれるようになるのは、もはや時代の必然であったのかもしれない。そして、「平成万葉集」とも称される今という時代を反映する特異な短歌群が、おもむろにヌッと(発掘され)浮上してくることになったのである。
かつてまだ昭和だった頃、学校の国語や社会の歴史の授業などで教科書に載っていた万葉集の歌をいくつか見た覚えがある。それがとても古い時代の歌なのだなということはわかったが、特段そこで歌われている何かがピンとくるようなことはなかった。歌の解説を読んで、なるほどそういうことを歌っているのかと思う程度で。千年も前の人が詠んだ歌の世界に想いを馳せられるほど、その頃はまだ想像力も感じる力も歌の言葉を読解する力もまったくもって備わっていなかったのである。万葉集の歌は、どこか遠い違う世界の歌のように読めたし、とても縁遠いものに感じられていたのである。
いつの時代にも歌はあったに違いない。今はそう想像できる。しかし、それを歌として受け止められない段階にあるものにとって、その存在を認識したり想像したりすることはとても難しい。万葉の時代から日本人はずっと歌を詠み続けてきた。時代ごとにものや自然の感じ方も刻々と変化してきたであろうし、歌そのものの受容の深さやスピードもまた時の移ろいとともに異なってきているのだろう。近代化してからの日本は、どこか短歌の世界における感覚の呼吸の歩調とは全く相容れないスピードで駆け続けてきてしまっているように思える。団塊ジュニア世代といわれる、高度経済成長期の最末期に生まれたわたしたちが、学校の授業で短歌を習っても全くピンとこなかったのは、そうした感覚のズレのためでもあったのだろう。日常的に歌を詠むなどということは風流の極みであり、そんな風流人は周りを見渡してもどこにもいなかった。もしかしたら、どこか近くにいたのかもしれないが、わたしたちのテレビの見過ぎでくぐもってしまっていた目には、それは全く見えてこなかったのだ。季節のない街ならぬ歌のない街に生まれたのが、昭和の終わりに育ったわたしたちの世代であった。
あの当時と比較をすると、やはり20世紀の終わりから21世紀の初頭にかけての平成の30年間とは、大きく社会や世界の情勢や仕組みが変動し(不安定化していっ)たこともあり、歌という個的でやわらかかつしなやかな表現が人々の身近なところに戻ってきた時代、まさに復権してきた時代でもあったのではなかろうか。この番組の「平成万葉集」というタイトルは、もはや大げさでもなんでもなくてびっくりするほどにしっくりきているように思えるのである。
まさに万葉の時代に歌を詠んでいた人々のように、平成の人々は日常的に歌を詠みつつあるように思えるし、これ以降の時代の人々もまた日常的に歌を詠むようになってゆくのではなかろうか。「平成万葉集」で紹介された歌に触れれば、誰しもがそう思うようになるだろう。ツイッターでのつぶやきと同じようなレヴェルで、平成の短歌も今という時代に生きる人々の生々しい感情や思いの息吹をそのままに映し出すものとなっている。明治・大正・昭和期に誕生した万葉や今昔集への回帰を根底の思想としてもつ歌とはまた違った、より自由で大らかな平成以降の(末法の)歌が確かな時代感覚を伴って生み出されつつあるようだ。
テクノロジーが発達し、コミュニケーションのためのデータまでもがデジタル化・アーカイヴ化が進められている時代に、人間が雑念と雑音だらけの頭や心の中で練り上げてゆく(アナログの極地であるがゆえに深い)短歌に詠まれた言葉の力が確かな存在感をもって盛り返してきている。そこには、テクノロジーの最先端をゆく解析力や演算力でも絶対に追いつけない、言葉そのものの強度と言葉の意味の速度と奥行き/厚みがあり、文字(データ)化されてデジタル化されつつも本当の奥の底まではデジタル化され得ない生きた言葉が躍動している。
生命力が息衝き充満する、頭の中/胸の中/口腔/舌の上で紡がれる言葉。デジタルの領域では真っ先に回避される、とても面倒臭い思考や熟考。ただし、そうした黙考の回路から、言葉は生み出される。合目的的かつ合理的に極限まで(人間性や人間臭さを削ぎ落として)絞り込まれた文字数とデータ量であっさりと要約してしまえるものを、無駄にうやむやに表したものをそこにまとわせて膨らませて(またそこから削って)ゆくことが、はたして(お利口さんな)人工知能にできること(創作)なのであろうか。
短歌の言葉は、頭の中で断片化され、四方八方に飛び散って、デジタルの回線や回路をスパスパと飛び越えて、そこかしこを飛び交う。言葉のイメージや言葉の意味が、バラバラになって、言葉や文字の周辺へと延長された流れ出る歌の世界に滲むように広がってゆく。イメージや意味は、そこに引き寄せられたイメージや言葉に絡みつき、その世界の内側から溶けるようにあふれ出してしまい、そこかしこを飛び交っている元々の歌とは無関係な言葉や記号をも屈折させて共鳴させることだろう。歌が世界を侵食してゆき、そこに時代の歌が生まれでる。
歌を詠むとき、言葉が四方八方から頭の中や心の中に飛来する。消化待ちで渋滞した言葉を思考が次々に捉えて(増幅させて)ゆく。捉え逃されて、そのまま通り過ぎていってしまう言葉もある。それをまた思考が追いかけて呼び戻したりする。言葉が飛び交い、行ったり来たりしている。その中心に、ひとり静かに歌を詠む人がいる。歌を詠み、感覚や感情を生のままに捉え、言葉を吟味する作業に没頭する人の周りで、みるみるうちに時間が熟してゆく。歌を詠むことと時が熟することは同時進行する。短歌とは、時熟である。時熟の現象をともなっていない短歌は、短歌とはいえない。詠み人が増えれば増えるほど、あちらこちらでひっきりなしに時間が熟してゆくようになるだろう。そして、時代の歌とともに、時代そのものがほどよく熟してゆく。
平成以降の時代を生きる高感度センサーを備えた歌人たちは、どこまでも執拗に言葉の活き活きとしている部分の残響までをも掴み取ろうとして、大量消費社会に溢れかえる使い勝手のよい言葉では割り切れず捉えきれないものを追いかけ、タイトなジーンズにねじ込むように短歌のフォーマットにそれらを鋭く詠みとってゆく。人麻呂や憶良や赤人は、この新しい歌をみてどう想うであろう。西行や実朝にスマートフォンやタブレットをもたせたら何を見て何を詠むだろう。街角の乾いた風に衣の袖をはたはたと揺らしながら、わたしたちの息詰まるような生の歌の世界にもののあわれと共感をしめしてくれるであろうか。

(2019年の初めごろに書いたもの・のちに少し手直しした)

【付録】

2020年6月、昼間の情報番組「ひるおび」を見ていると、そこでは持続化給付金事業の民間委託に関して様々な問題が湧き上がってきていることが熱く伝えられていた。だが、その不正の構造が複雑で不透明すぎるからか、なかなかはっきりと何が悪いのかをえぐり出せないで、闇の周辺を探るような言葉が羅列されているだけである。番組に出演している芸能人も政治ジャーナリストも、みんなどうも言うことが型どおりで薄っぺらい。よくよく考えてみれば、そこで給付金についての話をしている人たちは全員きっと一円たりとも生活に困ってはいないのではないだろうか。コロナ危機だのコロナショックだのといわれているが、仕事もあり稼ぎもあり感染予防やウィルス対策をしながら何不自由なく暮らせている人たちなのである。そのようなある程度の豊かさを享受できている人々には、持続化給付金の振り込みをあてにしている人々や定額給付金でどうにか命をつないでゆけると考えている人々のことは、ちっとも想像することができなくて当然なのだろう。給付金のことに関していえば、テレビ番組でじっくり腰を据えてああでもないこうでもないと話し合って、みなさんでどうすればよいかを一緒に考えましょうよ、などと呑気なことをいっていられるような段階をとっくに過ぎている。とにかくサービスデザイン推進協議会だかなんだかに二十億円をくれてやってでもいいから、とっととこっちに必要なものをよこせ、と口角泡を飛ばして詰め寄りたいくらいなのだから。悪人どもは後でゆっくり絞りあげて裁けばいい。それより先に、死なずに済むだけの真水をこっちに流してくれということだ。テレビに出ている人々は、誰もそうした声を代弁してくれない。有り難くも政府の方々が給付金の制度を作ってくれましたので、これでみなさん全員ひと安心ですね、めでたしめでたし、などと思っているのではないだろうか。サービスデザイン推進協議会がきな臭いと何度も口が酸っぱくなるほど説明しようがしまいがてんで構わないが、巷にはもう尻に火がついている人々が山ほどいて悲鳴を上げているのである。その悲鳴は聞こえていないのだろうか。こっちの焦げ臭さは全然感知されていないのだろうか。ウィルスのせいで嗅覚がなくなってしまったのか。コロナがきてもなんとかそれなりにやれています、という人ばかりではない。いまそこにある現実にちゃんと目を向けてもらいたい。給付金がなくても痛くも痒くもないという人々は、本当にひとにぎりなのだから。
いや、ひとにぎりなのは、実はこちらの方なのかもしれない。テレビの情報番組を見てサービスデザイン推進協議会が怪しいだなんていっているひとびとのほとんどは、コロナがきてもなんとかそれなりにやれているし、このまま再び経済が動き出せば以前と同じ生活にただ戻ってゆくだけという感じなのではなかろうか。それならば、国からの給付金があれこれゴタゴタしているうちにどんなに支給が遅れてしまおうが、なんとも思わないのが普通なのだろう。そういう人々というのは、政府が感染症対策に使う税金の使い道の方に敏感で、そちらの方に目を光らせているのだ。そして、その厳しい目は、どんなに困っている人々が対象であろうとも、そこに対して必要以上に多く支払われることのないように見張っている。自分たちがとにかくなんとかそれなりにやってゆければそれでいいのだけれど、それが不安定なバランスや公平でない社会構造(システム)の上にあることがわかっているから、それが脅かされなければそれでいい。とにかくいまある位置だけは、どんなことがあっても死守したい。サービスデザイン推進協議会がごっそりぼろ儲けするよりも大量の困っている人々がちょっとずつ給付や補助をじゃんじゃか受け取る方が(微々たる格差が縮まり)自分たちの生活が脅かされる度合いは大きいと踏んでいるのだろう。ちゃっかりサービスデザイン推進協議会のような組織が中抜きすることぐらいは、透明度の低いブラック政策が常態化している国家においては常に折り込み済みであり、毎度毎度の公金漏出ではないか。これまでと同様にクズ組織によって何十億ネコババされようが、現行のシステムさえ機能してくれていればそれでよく、それによって自分たちがなんとかそれなりにやってゆけるであろうことにはきっと変わりはないのである。
なんとかそれなりにやってゆけている人たちのことを脅かそうだなんて、こちらはちっとも思ってはいない。ちょっとだけ羨ましくはあるけれど。それよりも、それなりにやってゆけそうな大方の人たちとは全く違うレヴェルの地表に生きていることが、今回の様々なことを通じて、なんとなくはっきりと見えてきてしまったようで、気分的には余計に落ち込んでしまっている。世の中は、また少しずつ動き出して、人々はかつていた場所に戻ってゆき日常を取り戻してゆくことを喜んでいたりする。やはり、元に戻ってゆくのが普通なのだろう。そう簡単には元には戻らないで、何かが根本から変わり果ててしまい、みんながまた一からやり直さなければならないようなことになったら、結構いいかもしれないなあなんて思っていたものたちは、やはりほんのひとにぎりであるのだろう。正直にいえば、非常事態宣言が出たところで、さほど生活のリズムは変わらなかった。スーパーに行ったらマスクをつけたり、手洗いやうがいを意識的に多くするようになったりするぐらいだろうか。つまり、ソーシャルな非常事態宣言が出る前からパーソナルな非常事態宣言はずっと出ていたということで、非常事態宣言が解除された後もずっとその私的レヴェルの非常事態宣言は出続けているということでしかないのだろう。以前のような日常が取り戻されて次第に活動的になってゆく人々の姿がニュースなどで伝えられるたびに、なんだかひとりだけ置いてけぼりにされているような気分にさせられる。なんとかそれなりにやってゆけている人たちにとっては、そんなのは全く気にならない存在でしかないのであろうが。
令和になっても、まだ平成が続いているかのように早々に大災害に襲われることになった。ただし、悪性ウィルスによる感染症の蔓延による社会機能・経済機能のストップという事態は、地震や豪雨が相次いだ平成のころにはなかった惨事である。そういう意味では新しい時代は確実に幕を開けているのかもしれない。コロナショックは社会的に弱い立場にいる人々の生活を直撃したという。非正規雇用の労働者やフリーターは仕事の場を失い早々に収入源を絶たれ、漫画喫茶に寝泊りしていた日払いの労働者たちは行政による休業要請のあおりを受けて露頭に迷い、中小企業が倒産し失業者数が膨れ上がった。
長い下り坂のようだった平成の世を通り過ぎていった光や闇やあれやこれやを静かに魂に刻み込むように詠み続けていた「平成万葉集」に登場した、あの素晴らしい歌人たちは、はたして大丈夫だろうか。令和の最初のパンデミックの最中に、そんなことを思った。時代はさらに厳しさを増している。長い下り坂の先には思いもかけぬほどに険しい断崖が待ち構えていた。もうここでひと思いに身を投げてしまえということなのか。そんな世界の片隅に生きる、小さな小さな人たちが歌を詠んでいた平成という時代があった。そうした時代の中にいながらも一歩ひいて時代を眺めることができた周縁に生きる野草のような人々であったからこそ、たくましくその目を凝らして日々詠むことができていたのかもしれない。とても繊細な感覚をもち、歌を詠むことで、日々の移り変わりを確認し、ひっそりと儚くも凛々しい命を繋いできた歌人たち。呻き沈み諦め悟り歯を食いしばり捩れ渇望し歌が生まれてきた場所。平成から令和へ。いま、そこでどんな歌が詠まれているのだろう。いま、まだそこで人々は歌を詠むことができているのだろうか。とても心配になる。どこまでも崖を転がり落ちても歌うものは歌うだろう。倒れても倒されても這いつくばってでも歌うものは歌うだろう。だが、なぜ歌うものは歌い続けるのであろうか。歌うことで残せるものがあるからか。歌うことで伝えられることがあるからか。残さなくてはならないものや伝えなくてはならないものがあるから人間は歌うのか。残しても誰にも発見されずに、伝えようとしても誰にも伝わらないままであったとしても、人間は歌うのだろう。歌人は自分のために歌う。歌う人は強い。繊細でか弱き人たちだが、とてもとても強い。万葉の時代からそうした人々の歌が残り続けて、三十一文字に託した人生のあれこれをいまに伝えてくれていることが、それを証明している。令和初期の危機のときの歌も、きっと残り続けて現在進行形のあれやこれやの問題についてか弱くもたくましい民人が感じていることを後世に伝え続けてくれるだろう。だからこそ、今日もまた三十一文字に魂を込めて歌が詠まれている。世界の片隅に転がる、小さな石ころのようなあの人の、広大な言葉の宇宙のような頭の中で。

(2020年6月)

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