展覧会『MANGA都市TOKYO ニッポンのマンガ・アニメ・ゲーム・特撮2020』レビュー

【多層的で多元的で多面的なポップカルチャーの東京をひとまとめ】

 2018年にフランスで開かれた『MANGA⇔TOKYO』を日本へと持ってきて、『MANGA都市TOKYO ニッポンのマンガ・アニメ・ゲーム・特撮2020』とした展覧会が2020年8月12日に国立新美術館で開幕。内容的にはフランス展をほぼ踏襲。中央に実物の1000分の1サイズ、12メートル×17メートルという巨大な東京の都市の模型を置き、その上を舞台にして繰り広げられた様々な作品を、映像によって紹介しつつ場所をライトアップしてそこだということを見せつける。

 新海誠監督の『秒速5センチメートル』なら代々木からちょっと言った小田急線の踏切あたり。同じ新海監督の『言の葉の庭』だったら新宿駅。『ラブライブ!』なら神田明神で『三月のライオン』なら月島当たりを映像と、ライトアップによって示すことで、見る人は作品の場所が東京のどこなのかを実感できるようになる。

 東京に住んでいる人とか、東京によく来る人だったら代々木も新宿も秋葉原も神田明神も月島も、体感としてどこにあるかはわかっているからライトで示されなくても大丈夫だろう。もっとも、元のフランス展では東京なんて知らない人がほとんど。そういう人に作品の場所を模型の上で示すことによって、これだけの過密な都市のあちこちで、東京が舞台となった作品が作られ、それは映像としてこういった表現になっているんだということを知ってもらえる。

 その意味では海外向けの展示を日本に持ってきただけかもしれないけれど、日本の観客もそうやって示される映像を見て、場所を示されることによって実際の風景と重ねて作品を観ることができる。なるほどこういう光景なのか、だったら行ってみようとか。そんな感じ。

 大友克洋監督による『AKIRA』の紹介では、さすがに爆発する都市だから模型が光り輝くなんてことはなかったし、『シン・ゴジラ』でも背から出た光線が四方八方に放たれるのと同時に模型の上をレーザー光線が躍ることはなかった。そこはアトラクションじゃないから抑制的。ただ、映像を見て、実際にこれが東京の街だったらってことを模型に重ねて想起できる。そんな意味はある。

 模型を中心としてぐるりと取り囲む展示では、まず幾度となく破壊されては復興から再生へと至った東京を描いた作品が並ぶ。当然のように『ゴジラ』があって『シン・ゴジラ』もあって『AKIRA』があってといった感じ。あと、東京というより箱根だけれども第三新東京市ということで、『エヴァンゲリオン新劇場版』があってと、世界的に知られた作品がずらりと並ぶ。

 おなじく破壊され復興してきた東京という括りから、今敏監督の『千年女優』で空襲後の焼け野原に立つ千代子が映る映像が流され、『人狼 JIN-ROH』のあれは安保闘争めいた騒乱の中にたたずむ男女がセル画や絵コンテで並べられている。ほか、江戸の火事を扱った大友克洋監督の『火要鎮』もあれば、関東大震災が描かれる映画『帝都物語』もあって、東京は散々に破壊されてきたことが分かる。

 それでも、同じ場所で再生を果たし、なおかつ肥大化していく東京の、輪廻転生のような強さは果たしてそうあって欲しいという日本人の願望なのか。それだけ東京は重要なのか。気になった。

 以後、江戸時代として一ノ関圭のすさまじい画力でもって描かれた漫画『鼻紙写楽』や杉浦日向子『百日紅』などがあり、石ノ森章太郎『佐武と市捕物控』もあってとなかなか多彩。それは昭和にも言えて、西岸良平『三丁目の夕日』や永島慎二『フーテン』、そしてちばてつや『あしたのジョー』と国宝級の作品が一堂に並ぶ。東京というキーワードでこうしたレジェンドを括れるというのも、展覧会のユニークさの証明かもしれない。

 新海誠監督の一連の作品もあり、羽海野チカ『三月のライオン』もあって『美少女戦士セーラームーン』も並んでと、1990年代から現在までの東京も俯瞰できる。『おおかみこどもの雨と雪』というのもあった。これは家族が東京でひっそりと温かく暮らしている様を描いているって認識か。

 そうした時代をすこし出て、経済成長も止まって苦しい中にあえぐ人々が暮らす東京というのも取り上げてあったところが目の行き届いたところ。岡崎京子『リバーズ・エッジ』に黒木依『ひとり暮らしのOLを描きました』に今敏監督『東京ゴッドファーザーズ』。苦しい中で行き詰まりながらも懸命に生きている東京の人の姿が、感じられて苦しくなった。

 秋葉原に新宿に渋谷といった町を象徴するような作品も経て、山手線の『ラブライブ!』ラッピング車両があって車窓から東京ビッグサイトがのぞくという、ありえない光景を見たりして楽しめた。

 そんな東京の多面的で多層的な抽出について、ゲストキュレーターの森川嘉一郎・明治大学准教授が話していたのは、年代が子供から若者から大人から高齢者まで多岐にわたっているということ。そうした人たちがそれぞれの視点で見て作品に描いた東京というものが残っていて、なおかつ江戸から明治大正昭和平成といった時代をとらえて作品に描かれていくことで、単純なビジョンとしてだけでなく、心情としてのパッションもそこに含んだ東京の姿となっている。

 ミルフィーユ的で五目御飯的。これを例えばパリでできるかというと、森川准教授によれば映画を取り上げることでできるのではといった論評があったとのこと。もっとも、映画にしても絵画にしてもハイカルチャーに描かれるものと、生活に根差した部分、空想が飛躍する部分があるポップカルチャーに、広い世代の認識によって描かれることは少なさそう。東京だからできること、日本だから可能なこと。そういう意味ではポップカルチャー大国でオタク大国日本ならではの、一風変わったアーカイブだとも言える。

 これをぱくっとまるめてタイムカプセルに詰めた時、いったいどんな街だったと東京について後世の人たちは思うのか。あれだけ怪獣に攻め立てられても大丈夫だったなんてすごいと思うのか。 気になった。(タニグチリウイチ)

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