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セラピスト(Th)が必ず抱える葛藤(コンフリクト)

心理療法において、葛藤(コンフリクト)とは非常に重要な要素である。無意識レベルでの葛藤を意識化することを治療では目指す。

葛藤を処理するのではなく、葛藤を意識化するという点が肝心だ。人が生きる上では様々な葛藤を抱えるのが自然だ。葛藤のない人生など不自然である。

葛藤や悩みという点が人間とAIを区別する一番の要素なのではないかとすら思う。AIが葛藤する力を覚えると本格的に人間に勝ち目はなくなるだろう。

葛藤や悩みがセラピーを進めていく内に意識化されると、クライアント(Cl)の主観的な苦しみは上昇することが自然だ。心理カウンセリングとは場合によってはトラウマに触れることになるので、辛い作業になることもあり得る。

心理カウンセリングでは主訴の解決を目指して、ThとClで治療同盟を結び、セラピーを開始する。そして主訴がClなりに解決すると終結となる。ThもClも共に終結を目指してカウンセリングを続けるし、途中で上手くいかないとなると、中断や終了となる。

セラピーを進める上でClの葛藤が意識化されると同時にThにも葛藤が意識化されるプロセスがある。それはClと関わる上でどのようにセラピーを行えば良いのかという悩みや葛藤である。Thの葛藤もいかにセラピーに活用するかという観点が求められる。

さらにThが抱くもう1つの重要な葛藤がある。それはClの主訴が解決すればセラピーは終了となり、Thの仕事がなくなってしまうということである。これは非常に重要であり、ある意味タブーの領域である。

飲食店や美容師さんなら、またお腹が空いたときに、また髪が伸びたときに、再来店してもらうことは普通のことである。

しかし、セラピーにおいては終結を目指す方針を取りながらも、終結すること事態が実はThの仕事がなくなってしまうという、究極の葛藤、アンビバレント、パラドックスを引き起こしてしまうのだ!

美容師さんならリピートしてもらうことは素晴らしいことであるが、いざセラピーとなるとリピートしてもらうThが素晴らしいのかというと必ずしもそうではないという指摘も納得できる。

まぁ、毎回のように1度しかClが来られないのならThが下手なのであろうが、Clが永遠と来続けるのも主訴が解決していないからとも言える。もっといえば、ClがThに依存していることもある。

依存はセラピーにおいてマイナスに働くが、Thにとってはプラスに働いてしまうことがあるのが、難しいところなのである。

しかしながら、セラピーという構造上必ず起こるこの葛藤こそが、人生の葛藤の縮図として、フラクタルなものとしてセラピーの場に再現されるからこそ、それをどう乗り越えるかが重要なカギになるのだ。

「いま・ここ」で再現されるThとClの相互者間的な現実は、「あのとき・あそこで」という過去の次元や未来の次元をも含まれている。

Thは葛藤から目を背けてはいけない。目の前のClに圧倒されるのが悪いことではない。圧倒されていることを否定することがいけないのだ。優秀なThこそ、上手くいかない状況を利用できる。

手品としての占いではなくセラピーとしての占いを目指すからこそ、自らに起こる様々な葛藤を愛する必要があるのではないか。

そう自問自答する。そしてさらに葛藤は深まるのである。

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