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「我をその名で呼ぶ莫れ」(芥川龍之介「河童」の二次創作(2))

※画像は橘小夢の画集から「水魔」の一部を撮影したものです。

 その慟哭を聞くと居た堪れなくなります。侮蔑と憐れみと、我が身でなくて良かったという安堵と、諸々な感情が波のように膨れ上がり、やるせない気持ちで家路につきます。そうしていつもと変わりない妻子がいつもと同じ様子で迎えてくれるのを見て、毎日ほっとするのです。私は監獄の看守をしております。

 囚人第二十三号は、この町を流れる二級河川から引き揚げられた河童でありました。驚くことではありません。この町は民俗学の権威Y氏の著書にも記されるように、古くから河童の里として知られております。私も幼い頃、祖父母の家に泊まりに行きますと、夜は必ず河童の昔話を聞かされて寝入ったものです。相撲では敵わないから逆立ちをしなさい、河童は皿の水が零れると死んでしまうから。夜は出歩くものではない、Hyou  Hyouと鳴きながら山へ帰るのは鳥ではなくて河童なのだから。川で泳ぐ時は用心しろ、尻から魂を抜かれてしまう・・などと。この町で生まれ育った者には河童は身近な生き物なのです。
 しかし第二十三号は、河童で「ありました」。過去には。彼は人間になってしまいました。人間になったればこそヒトとして罪に問われ、囚「人」として囚われているのです。職務上その経緯を知る私は、またその職務上それを人に語る訳にはいきませんが、この日記の上にだけ留めることをどうかお許しください。死ぬ前に日記は焼いてしまいましょう。もし私がうっかりと焼く暇も無く死んでしまった場合には、家人に焼いてもらいましょう。その際は家人がこの日記を読まないように、くれぐれも言い聞かせておかなければなりません・・・

 さて、引き揚げられたと書きましたが、彼は無作為に網に掛かった訳ではありませんでした。ある政治家が夜中にこっそりと舟を出し、極上の胡瓜を餌にして河童を捕らえんと図ったのです。そうしてまんまと罠に掛かってしまったのが第二十三号です(彼の本名を日本語で表記するのは不可能なのでやむを得ずこう書きます)。
 政治家には魂胆がありました。その政治家は長い間この町の権力者で、次の選挙も当選間違いなしと言われていたのですが、不祥事を起こしてしまい、当選が危うくなりました。ところが所属するA党の議席はなんとしても死守せねばなりません。B党に譲る訳にはいかないのです。B党の対立候補はなかなかの人気者です。そこで政治家は、知名度がある人物を擁立してA党の候補に立てることにしました。誰もが知っていて、周りがあっと言うような・・即ち河童、を。立候補は人間に限るという規定は無かったのです。
「この町を古くから知る河童一族の観点から自然の大切さを説き、人間社会の悪習を正す。これは君にしか出来ないことだ」とか何とか。口先三寸の政治家は三寸を三尺にも伸ばして河童を説き伏せました。無論、極上の胡瓜をちらつかせながら。河童には家族がおりましたので、家族に極上胡瓜を毎日届けることを条件に政治家の策に乗りました。河童は好奇心の強い生き物ですから、人間の政治というものに興味を持ったに違いありません。河童は罠に掛かったのではなく、人間社会の腐敗を見かねて川底からやって来た、と表面上取り繕われました。かく言う私が事実を知っておりますのは、船頭をしている父の舟を借りて河童漁に加担したからです。当時私は市役所の職員でありました。
 河童が選挙に打って出ると、当然市民の注目が集まりました。B党の候補者など芥子粒の如きです。操る政治家が知恵を授けましたので、河童の弁舌は大したものでした。同じ弁でも人ならぬ河童が、人間界を超越した自然界の存在が語ることで天からの啓示のように心に響きました。主張とは内容よりも誰が語るかということです。河童は当選しました。

 当選したその日のことをよく覚えております。河童は河童ながら、緑色の頬を上気させ目を輝かせ、この町の未来を自分が甲羅の上に背負うのだと、気概に満ちておりました。痛ましい程に純真な彼でした。
 しかし、実際の政治を例の政治家が握ったことは言うまでもありません。河童はただの表看板。小綺麗な理想をその嘴に語らせておいて、裏では政治家がやりたい放題。河童が抗議しても「まぁまぁ、そうだね、その通り」で済ませてしまいます。河童は次第に心を病みました。講演などの移動中に川面の煌めきを見ては、あぁと溜息をつくようになりました。経緯から私は彼の付き人のようなことをしておりましたので、日に日に精気を失う様子がよく分かりました。政治家に、たまには川底に帰省させてやってはどうかと進言致しましたが叶いませんでした。
 政治家は自分がやりたい放題する為に、どうしても河童という看板が必要だったのです。彼を人間社会に繋ぎとめる為に政治家のとった手段は「女」でした。
 何処でどう見つけてきたものか、大方金にものを言わせたのでしょうが、細身で滑らかな肌を持ったその女は、彼の傷ついた心を優しく癒す振りをして、彼の心を手中に収めました。その上、ここはちょっと詳細を記すのは憚られますが、彼は「男」としてもその女の虜になりました。純真な彼は女に夢中になりました。女が望むようなことを言い、望むようなことをしました。 実際は女は唯の拡声器に過ぎず、女を操るのは無論政治家でありました。河童の女ではなく人間の女をあてがったのが政治家の狡い所で、河童は人間社会を離れ難くなりました。 
 かつては川の急流をも遡る凛々しい体を持った彼でしたが、陸の暮らしが長くなり、酒色に溺れ、傀儡たる身に鬱々として過ごすうちに、身も心も弛んでいきました。実は彼の支持層には女性の有権者が多く、彼の引き締まった体と純真な瞳が彼女たちを惹きつけていたのですが、今や見る影もありません。また少しでも政治の分かる者にしてみれば、彼に政治家としての資質が欠けているのは明らかでした。浮葉が水面に散れるが如く、支持者の心は彼から離れていきました。

 彼の身の上に起きたことで、胡瓜に釣られて捕らわれたことよりも痛ましいのは、初めての恋を捧げた女が性悪女だったことでしょう。女は彼の事を金蔓としか見ておりませんでした。それでも彼は女の歓心を得ようと、女と同じ種族に、人間になることを望んだのです。人間になれば彼女が振り向いてくれる。振り向いて微笑んでくれると一途に信じ込み、彼は付き人の私に相談を持ち掛けました。良い医者を紹介してくれないか。この緑色の皮膚をはぎ取り嘴を削ぎ、頭頂部の皿を剥がして・・・「いけない!」と私は彼の言葉を遮って叫びました。「早まってはいけない。そんな事をしては死んでしまう。あの女のことは諦めなさい。彼女は君が思っているような人じゃない」
 しかし彼は忠告を聞きませんでした。金を撒いて医者を探し、全身に整形手術を施したのです。丁度政治家と性悪女が、彼に見切りをつけようと決めたその時期に。彼の整形手術は性悪女にとって別れをこじつける材料になりました。

「あらぁ、私河童のままの貴方が良かったのに・・人間に整形しろだなんて、私言ってないわ。人間の男なんて幾らでもいるもの」
 政治家にしても、
「勝手な真似をしてもらっては困る。河童としての君を前提に政治戦略を進めてきたのだから。仕方ない、病気療養中ということにして人目につかない所へ移そう。生簀の中から代役を探すとするか」
 病院の個室のベッドに横たわる彼の上で無遠慮な会話が交わされます。
「生簀?」
 私には初耳でした。ベッドの上の彼にとってもそうでした。政治家は事も無げに、
「ああ。毎日川底の河童に胡瓜を届けるなんざ面倒だ。こないだ川の整備をしただろう。川底の泥と一緒に河童をシャベルで浚っておいて、生簀で飼ってるんだ。今、税金で河童水族館を建設中だよ。言っとらんかったかな?良い案だろう」
「quooooooooooo!」
 ベッドの上の体が跳ね上がり、叫びながら政治家に襲い掛かりました・・・

「君は僕のことを、随分と愚かだと嗤うだろうね・・・」
 今日も鉄の扉一枚を隔てた背後から、生臭い息が掛かります。私は黙って聞きます。彼が話し掛ける相手は私しか居ないのです。
「君の忠告を聞けば良かった。政治家の甘言に乗り、あんな女に騙され、一族を見世物にしてしまった・・・」
 彼は家族に極上の胡瓜を届けさせる為に、川底の河童界の地形を詳しく教えていました。狡賢い政治家は、或いはそれを聞くなり河童全体の捕獲を思いついたのかも知れません。極上の胡瓜。たったそれだけの贅沢を、家族にさせてやりたいと願ったばかりに。
「本当に愚かだった。思い上がってしまったんだ。河童界と人間界の懸け橋になろうと。僕ならなれると思ったんだ」
 なれたでしょう。逞しく純真な彼という河童を、そのままの姿で我々人間社会が受け入れたなら。人間が悪いのです。河童が生来如何に優れた生き物でも、汚水のように濁った社会では自在に泳げますまい。ああ、私に力があったなら。彼を今すぐ自由にしてやりたい。自由?しかし彼には帰る世界も行く所も無いのです。全身整形は失敗でした。うわべだけ人間の皮を被せても、力強い河童の遺伝子が骨肉の底から滲み出して来るのです。
「カドウ君」
 幾らかでも慰めようと彼に呼びかけると、しくしくと泣き出してしまいました。彼は病室で政治家と性悪女を絞め殺し、その罪で裁かれました。法律で裁く上で彼に人間としての名が与えられました。河に童と書いてカドウ。何と皮肉な名前でしょう。かと言って、第二十三号と囚人の数字で彼に呼びかけるのも辛いのです。彼は今、死刑の執行を待つだけの日々を過ごしています。歯車に潰される肉片のように、彼の寿命は刻一刻と削られているのです。
「あぁ、あぁ。我をその名で呼ぶ莫れ。かつて僕には名があった。立派な父母が授けてくれた名前があった。でも僕にはもう親に授かった体が無い。けれどせめて君だけは、かつての僕の姿を知る君だけは、我をその名で呼ぶ莫れ。願わくば、どうか、どうか・・・・・」
 私は思わず振り向きました。鉄の扉の小窓を、鉄の格子が噛んでいます。格子の向こうには月明かりを浴びて、人間とも河童とも見分けのつかない、褐色と緑色が入り混じった肌に縫合痕を這わせた姿が立っています。その引き攣れのような目尻からぽろぽろと、翡翠色の涙が零れるのです。

「どうかKappaと発音して下さい・・・」


                             (了)

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