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何歳の頃に戻りたいのか

コーヒーを淹れていたら、
スマホからサザンオールスターズの
「真夏の果実」が流れてきた。
海に反射する太陽の眩さと、
夏の終わりの寂しさを
感じさせるこの曲を聞いたら切なくなって、
学生時代の思い出が記憶の底から
ぷかりぷかりと浮かび上がってきた。

カラオケに行けば誰かがサザンを歌っていた私の大学時代。
Aという男友達がいた。
大学は違ったが、同じスポーツをやっていたこと、
よく使う駅で偶然何度も会ったことから仲良くなった。

Aはあらゆる年代の人と仲良くなれる人だった。
今の私たちくらいの年代の人とも
まるで同世代のように話をする。
よくそんなに話の引き出しがあるなと感心したほどだ。

私がティーンエイジャーだった80〜90年代は、
今よりもっと大人の子どもの間に
明確な線引きのようなものがあった気がする。

ドラマでも漫画でも現実の学校でも、
大人と子ども、先生と生徒の対立関係は色濃く、
子どもは管理される存在で、
週に1度は風紀検査と称して髪型やスカートの長さをチェックされた。

優等生だった私は、
「こんな身なりでこういうことを
言っておけば大人に何も言われない」
というツボを押さえていたので、
我ながらうまく立ち回っていた。
大人にとって都合のいい生徒に見える振る舞いは、
「大人にこちらの世界に踏み込んで欲しくない」
という思いの裏返しでもあった。
別に大人が嫌いとか不信感があったわけではないが、
管理したがる大人と関わるのが面倒だったのだ。

けれど、大学生になって世界が広がり、
大人もいろいろなんだな、と思うようになった。
そんな時に出会ったのがAだった。

Aとはお互い恋愛感情がまったくなく、
とにかく気が合ったので、
バイトや部活の合間を縫ってよく遊んだ。
都心から40分ほどのターミナル駅には、
当時の大学生にとっての娯楽はたくさんあったが、
Aとはコーヒーを片手にひたすら喋っていた記憶しかない。
まだスタバもタリーズもなく、
90年代前半には大学生がお茶をするなら
喫茶店かファストフードという時代だった。

私たちも当然、ファストフードによく行っていたが、
時々、「今日はあそこに行っちゃおうか」と
向かったのがBというコーヒー専門店だった。

一杯ずつドリップしたコーヒーを
有名な陶器のコーヒーカップで飲ませてくれるお店で、
店内はいつも大人のお客さんで溢れかえっていた。
けれど、シンと静まり返ったわけではなく、
それぞれが思い思いに楽しんでいた。

当時の私は砂糖を二杯くらい入れて飲んでいたけれど、
それでもBのコーヒーの美味しさはわかった。
Bでも私とAはコーヒーを飲みながらよく喋った。
周りに女の子が多い環境で育ってきた私には、
Aとの会話は新鮮だった。
同じものを見ていても、
「そこを見るのか」と思ったし、
新しい世界を見せてもらったことも多々ある。
今思えば、Aは私にとって
新しい世界に続く「窓」だった。

今はSNSを開けば自分と違う意見も目に入るし、
自分が知らなかった世界を知ることができる。
けれど、90年代の青春には
スマホもSNSもインターネットもなかったから、
新しい世界に出会うには本を読むか、
外へ出るのが手っ取り早かった。
新しい世界が見たくて仕方がなかった
大学生の私は風邪を引いた時以外はほとんど家にいなかった。
周りの友達も同じようなものだった。

いろんな人と出会いたくて外に出ていた私だが、
何度会っても話が面白いAとは
何時間でも話していられた。

時が経ち、私もAも結婚して、
二人で会うこともなくなった。

お互い生まれ育った街を離れ、
青春時代の記憶もだいぶ遠くなったが、
うちの近所でBの姉妹店を見つけた。

訪ねてみると、広々としていたBとは違って、
カウンターだけの小さな店だった。
平日の昼間のせいか、客は私一人だった。
マスターは一度もこちらを見ずに
タブレットを見ながらブレンドを入れ、
私の前にカップを置くと、
再びタブレットに目線を移した。

勝手に居心地の悪さを感じた私は
素早くコーヒーを胃に流し込み、早々に店を出た。
私の記憶にあったコーヒーと
全然違う味がしたのは、
店の中に充満する排水溝の匂いのせいなのか、
それとも、淹れ方が違うからなのかはわからない。
その両方かもしれない。
そもそも、B に通っていた頃の私は
砂糖を何倍も入れないとコーヒーが飲めなかったし、
何よりAとの会話がそこにはあった。
B の姉妹店というだけで
勝手なノスタルジーを抱いた私が悪い。

だからこそ、いくらでも友達と語り合えた
あの時間は豊かだったなと改めて思う。
人に羨ましがられるような
キラキラした青春ではなかったけれど、
Aとコーヒーを飲んだ思い出に限らず、
青春時代は宝物のような時間だったなと思う。

スマホもSNSもなかったから
待ち合わせをして会えないこともあったけど、
待ち合わせもせずに偶然会えた時の感動は大きかった。
飲み会で完徹するのも、夜中のドライブも、
ファミレスでのおしゃべりも、
友達と過ごす時間が何より楽しかった。

けれど、スマホもSNSもない時代の
青春が素晴らしいわけではない。
2000年代の青春も、
2010年代の青春も、
コロナ禍の青春も、
コロナ禍以降の青春も、
いつだって青春時代は
その人にとって特別な日々なのだと思う

それでも、大人になった私は
10〜20代の頃に戻りたいとは思わない。
私は櫻坂46の「何歳の頃に戻りたいのか」
という楽曲が好きだ。
過去を振り返りつつも
今を肯定しているところが。

過去の自分や
その頑張りを慈しみながら、
今を生きる。
今を肯定することで、
過去も輝く。

そんなふうに、
人は今と過去を
行き来しながら
生きていくものなのだろう。

櫻坂46の推しメンの
マグカップに淹れた
ブラックコーヒーは
いつの間にか冷めてしまった。
もう一杯、淹れてこよう。



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