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白戸俊吾さんっ!#1~うらほろ『人』発信 2人目


 僕たち発信隊が浦幌町の魅力である『人』をインタビュー形式でお伝えする「うらほろ『人』発信」
 二人目は高校卒業と同時に浦幌に就職し、今では「第二の故郷」とおっしゃっる白戸俊吾さんを発信

~こうして僕は浦幌へ~

ーーまずお生まれと経歴をお伺いします

 1993年10月生まれで今年で27歳です。帯広生まれなので、小、中、高校までは帯広で。高校は帯広工業高校の電気科で、中学校は三中(帯広第三中学校)です。

ーー高校まで帯広で、その後の進路は?

 中学生の時に「高校出たら絶対に働きたいな」と思っていて、そう考えた時に就職に強い、手に職をつけられるような高校に行きたいと思って。それで、機械とかが好きだったので工業高校選んで。その時の担任の先生、今でも一緒に焼肉したりとか仲良くしてるんですが、その先生と「就職どうする?」みたいな。まぁ、当時は就職率ほぼ100%だったんでどっかには就職できるってなったときに、僕は一人っ子なので、先生から「長い目で見たら道外に出るよりは地元にいた方が親御さんの面倒とかも見れるだろうし」って言うので。

ーー先生のアドバイスが決め手だったようですが、迷いはありませんでしたか?

 無かったですね。最初の頃は「十勝、出てもいいかな」と思ってました。帯広だって十勝では栄えてるけど、結局、田舎には変わりないから札幌とか東京とか住んだことないところに行ってもいいな、札幌とかの企業も受けてみようかなってのもありましたが、先生にそのアドバイスをもらって、今の職場の求人見せてもらって…すごく条件が良かったし、もう振り切って決めました。

ーーそれでは高校卒業してすぐに浦幌町へ来たのですね?

 そうですね。高校出てそのまま、今年で10年目くらいになります。長くお世話になってますね。


ーー浦幌を選んだ理由は仕事以外に何かありましたか?

 こういったら少しカッコ悪いけど、ほんとたまたまで。広尾町か浦幌のどっちかって感じで。広尾のクレーン扱うところと2社のどっちかって感じだったので、もしかしたら広尾にいた可能性も半々くらいでありましたね。そこで、帯広に近いのが浦幌だったんで、浦幌がいいなって。

~オレンジ色のぬくもり~

ーー10代で浦幌へ来た時の町の印象は?

みんな言ってると思うんですけど、「なんもねーな」って(笑)
 やっぱ夜が静かって思いますね。夜、人とすれ違わずにコンビニに行けるっていうのはほんとない経験で、田舎きたなぁっていうか。
 あと、今だに思いますけど、浦幌の街中にある「オレンジの街灯」って、なかなか無いですよね。帯広市内だったらもうちょっと明るい街灯が付いてたりとか。このオレンジの街灯が、今はもう慣れてきたし、落ち着くなって思うけど、最初はなんか暗いなぁって思いましたね。何もないし。

↑↑↑オレンジ色の浦幌の街並み

ーーあまり気にした事が無かったのですが…他の町から来るとオレンジ色の街灯は珍しく感じるようてすね(笑)

 実家からこっち帰って来るときに、オレンジの街灯見えてきたら「あー、そろそろ浦幌つくなー」って思いますね(笑)オレンジ色でぼわぁって。それがいいなぁって。

ーー街並みの他に何か帯広との違いを感じましたか?

 実家でも近所との関わりが無かったわけじゃないけど、こっちにきてからの方が近所の人と関わる機会が多いですね。町内会とか入るようになって近所の人と関わるようになって。実家にも町内会はあったと思うけど、マンションなんで入って無かったかもしれないし。

 あとは…、行くところもないから毎日コンビニに行くじゃないですか。そしたらどんどん店員さんと仲良くなって、みんな名前も覚えてくれてとかって(笑)そういう意味では、近所のおじさんとかおばさんとかもだいぶ仲良くなっちゃって。
 そういうのが嫌だって人だったら苦痛だと思うけど、僕は全然そういうのが嫌じゃないから。
 それに、発信隊の皆さんとも普段仕事してたら絶対に関わることないけど、こうやって色々な感じで関わったり、自分よりずっと年上の先輩方とも関わるのなんて帯広に住んでいたら、なかなか無かったと感じますね。田舎ならではのいいところだなって思います。

ーー逆に「ここ嫌だなっ」て思ったところありますか?

うーーん……噂とかは早いなって思いますよね(笑)誰にも言ってなかったのに、コンビニのおばちゃんにインフルエンザになったのバレてました(笑)全然買い物に来ないし、車が家にずっとあるし。僕の家も知ってるんですよね、ずっと道路沿いに車置いてあるのがわかるから「あんたインフルでしょ」って。でも僕は気にはしてないですね。聞かれたら事実なら事実だし、事実じゃなかったら僕はちゃんと言えるので

 あと、悪いところっていうか若い人達がこう、僕ら世代とか僕らより下の高校生とかが集まるような場所って、僕が来た時はなかったですね。今は担い手をノリ(佐藤紀毅さん、元船上コック。↓記事参照)

がやってくれてるけど。買い物とか行っても若い人と会うことがなかったから「若い人はどこで集まってるんだろう」ってずっと思ってました。昔はカラオケボックスがあったって聞いたけど、僕が来た時にはもうなくて。若い人はそもそも何してるんだろうなぁって、集まるところないなぁってずっと思ってましたね。

~楽しさは自分次第‼️~

ーー当初は何も無いと感じたようですが、今の印象はどうですか?

 すごい楽しい街だなって思いますね。いい街だなって思います。でも結局それも自分が何かアクション起こさなきゃ今の考え方にもなれてなかったと思います。外に出ようとか交友関係を広げてみたいなぁと思うようになってからどんどん印象って変わりました。
基本的に週末は実家に帰ってるんですけど、その頻度もここ二、三年で減りましたね。こっちで友達と過ごす時間とか、結構増えてきたっていうか。今はすごい楽しい。

ーー人との関わり増えてきて、周りが賑やかに?

そうですね。クセの強い人が増えてきて(笑)
同年代が多いっていうのが、すごい嬉しいですね。93年会っていうLINEグループを作ってて、11人いるんですけど、一個下の人とかも一緒に、周りの人とか巻き込んで。それを作ってからガラッと変わりましたね。

ーーそのLINEグループを作ったきっかけは?

 住んで2年くらいたった頃に「浦幌に友達がいないな」って。このままだったらあんまり友達が増えないんだろうなって思ってた中で、ヒロキ(守田弘樹。浦幌出身で浦幌在住)と仲良くなって、浦幌のチームでサッカー始めたんです。始めたくらいから少しずつ友達も増えていって、そんな中で、チームメイトがしゃっこいフェス(↓↓のリンクを参照)

にボランティアとして参加してる人を紹介してくれて「こんなのあるんだよ」って教えてもらって。それで第二回のしゃっこいフェスに参加させてもらって。そこで本間くん(本間悠資さん)、りなちゃん(本間里奈さん)とか、モリケン(森健太さん)と会った。当時みんなまだ学生だったんですよね。全く会ったこともなかったけど、歳が同じで仲良くなって話聞いてたら、モリケンとりなちゃんは「地域おこし協力隊として浦幌で働くことになったんだ」みたいな。その時にせっかくだから同い年の人集めて93年会作ろうよって3人ではじめて、22歳のときですね。でもみんな忙しくて二、三年間ずっと放置状態で、しゃっこいフェスの時だけ集まるみたいな(笑) 
 そんな中、船上コックから帰ってきたノリ(佐藤紀毅さん)が入ってくるようになって、浦幌の地元の人とか集めてくれて、そこからですね活発になったのは。みんなで誕生日祝ったりとかしてますね。


ーーそれで3人から11人までに、賑やかになりましたね!

 そうですね、たまたま。徐々に増えていったんですよね。

【次回】
お仲間の増えた白戸さんが、浦幌町内で行っている活動を発信っ

インスタ #うらほろ発信隊  で検索だっ

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