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チェアリング中に浴びた言葉。


夏ごろから「チェアリング」にハマり、暇さえあれば、そこらへんで座っている。アウトドア用の椅子を外に持ち出して、適当な場所に座ってのんびりするだけだけど、これがなかなかに面白い。それでいて絶妙に調整が難しいところもある。前回の投稿から間が空いたのは、チェアリングにハマりすぎたからというわけではない。

「チェアリング」という言葉自体、はじめて聞いたという人は、こちらの記事が参考になる。


チェアリングを始めて数か月経ったが、「意外と人から話しかけられるものだな」と感じられた。現状、私にはアウトドアの分野に明るい人間関係が欠如しており、ほとんどひとりで座っている。だからこそなのか、他人から話しかけられることがたまにある。ひとりで過ごしている人間を見かけると、(不審感からか)とりあえず話してみないと納得しないという人もいるのかもしれない。

ということで、チェアリング中に人と交わした言葉を思い出しながら、体験記を書いていこうと思う。これからチェアリングを始める人には、チェアリングについてまわる風情として、参考になるかもしれないし、全くもってならないかもしれない。悪しからず。



1.「ここは禁漁区だよ」

湖畔に椅子を置いてまったりしてると、動物でも狩りに行くような格好のおっさんが話しかけてきた。「ここは禁漁区だよ。釣りしちゃいけないんだよ。そこに看板もあるだろう」と、指を差し示す先にはたしかに、イワナなんかの魚を保護してる水域だから釣りはダメだよ云々と書かれた看板もあった。「まあ、分かってやってんでしょうけど。あんたがたみたいな人はね」と、ブツブツ言いながらまっすぐ射抜くように見てくる。

とりあえず、こっちは釣りをしにここまで来たわけではないし、釣り具なんて持ってきていないことを伝えた。バイクでここまで走って来て、いまここで椅子に座って休憩しているのだ。そこになぜか若干の嘘を加えたくなり、いい写真を撮って今年中にコンクールにでも出せたらいいと思ってるんです、などと伝えた。すると急に態度が軟化、「ちょっと今の時期は早いけどね、もう少しすると、向こう岸の紅葉がさぁ~っと」などと話し始めた。

教訓。座っているだけで誤解されることもある、かも。


2.「孫かと思って」

広々とした公園に椅子を出して座っていると、やたらと体じゅうに荷物をくくりつけたおばあさんがゆっくりと歩いてきて、目の前を通過していった。と思ったら、通り過ぎた先で立ち止まり、それから急にこちらに振り向いてまっすぐ向かってくる。なんだろうと思っていると、「パン。パンあげるから」とか言いながら、腰にぶら下げてあった鞄というか布の袋というか、その中からごそごそと、横長の袋に入っている6個入りくらいのパンを取り出して、こちらに渡そうとする。

いちど断ったものの、「いい!! 遠慮しなくていいんだから!!」と、意外に押しが強いため、とりあえず手に取った。ただ、6個入りのうち2個ぶんは無かった。すでに本人が食べたのか、誰かに譲ったのか。ともかく、食いかけのそれを食べるのは気が進まない。躊躇していると、「いや、私もここで休憩させてもらうかな」などと言いながら、隣におばあさんが腰を下ろした。

まったく食が進まなかったが、隣に座られてしまった以上、食べる姿勢を少しでも見せないと悪いと感じて、ひとつだけ食べることにした。とくに味に変わったところはない。「見てたら急に孫を思い出したの。いやぁ、うちんとこの孫なんてもうさ、相当大きいんだけれどもね。孫なんだかなんなんだかもう、よくわからなくなってんのよ。こないだあったら、かわいそうにもう頭が薄くなってきててね。うちのお父さんのわかいときと同じだ。ぶっひゃっひゃ」などと、小一時間も話を聞いた。

教訓。座っているだけで無理やり奢られることもある、かも。


3.「ちょっと撮らせてください」

海沿いへ旅行に行き、場所を変えながらチェアリングをしていたところ、ある所でカメラを首から下げた中年の女性に話しかけられた。「ちょっと撮らせてください」ということなので、いちおう詳細を聞くと、ちょうど私がこうして椅子を出している感じが撮りたいイメージと合う。そんな話だった。ただ、顔を撮られるのは嫌なのでそう伝えると。「顔は映しません。大丈夫です」ということなので了承した。「そこで座っていてくれるだけでいいですから」と言う。

ところがその女性、意外なことにどんどん距離を離していき、豆粒のようになるまで遠い所に行ってしまった。ただ、そこからなにかを撮影しているのはなんとなく分かった。ところで、ここから一歩も動いちゃいけないのだろうか。ここにしばらく座っているつもりだったから、別にいま動かなくたっていいのだけど、もし勝手に動いたら、後でどういう反応があるだろう。でも、とりあえず無難にじっとしていることにした。

15分ぐらいして女性は戻ってきて、「いい写真が撮れました。よかったです」と感謝された。感謝されるほどのことは何もしていない。それより、あんな遠くから何を撮っていたかが気になったので、デジタル一眼の液晶画面を見せてもらうと、広々とした海岸線が映る爽やかな写真だったが、私は奥の方で単なる点になっていた。彼女曰く、「それがいいんです。ここに何かが欲しかったの。ちょうど座って頂いて助かった」と、またまた感謝された。

教訓。座っているだけで感謝される、かも。


4.「俺もやりたいな」

木の葉が色づき始めた頃。公園で椅子に座ってコーヒーを飲んでいると、周りをきょろきょろしながら、60代くらいの髪の短くて白いおじさんが向こうからゆっくり歩いてきた。お互いに表情が分かるところまで近づいてくると、相手は何故かニコニコしながらこっちをまっすぐ見てくる。めんどくさそうな感じがしたが、いちいち立ち上がるのもめんどくさいのでそのまま座っていると、「何やってるの~?」などとおじさんが聞いてくる。

チェアリングですよと応えたものの、おじさんから笑みが消えて怪訝な表情になってしまった。焦った私は、チェアリングっていうのはちょうどいま流行ってる遊びで、椅子はまあこういうので、コーヒー飲んだりお握り食べたりするんだよ~、といったことをざっくばらんに伝えた。おじさんは真顔で相づちを打ちながら聞いていたが、急にまた笑顔になり、「そりゃあいいよね。俺もやりたいな」と言いだし、「俺ね、割と最近仕事を辞めたんですよ。でも、何していいかぜんぜん分からなくて、ちょっと困ってて」などと自分を語り始めた。

私が使っている椅子にも興味を持ち始め、「いくらするもんなのコレ」と聞いてきたり、実際に座ってみたいというので試しに座ってもらった。「なるほど。こりゃいいわね。こうして景色を見ながら好きなもの食べたり飲んだりして、スマホとか眺めたりしてりゃいいもん。うん、これはいい。いかにも引退した感じがするし」と言いながらニコニコしていた。

そうか、引退か。と私は感じた。確かに、チェアリングはどこか引退的な風情を先取りしている感じがする。チェアリングには、本人が意識しているかしていないかは別として、明らかに疲労感から促される境地があると考えていたからだ。その人の疲弊が強いほど、チェアリングの風情はいっそうの深みと重みを増すのだろうと思う。きっとこのおじさんは、理想的なチェアリスト(チェアリングをする人の呼称がいまいち定まっていない)になれるだろうな、と感じた。

教訓。座っているだけで同志が見つかる、かも。


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