「別れ」の顔

 僕が経験したことの中に、僕の中で確実と言えることがある。それが「別れの大半は再会の顔をしている」ということだ。僕自身それを召喚したこともあるし、されたことも多々ある。

 マッチングアプリで出会った人の中で、ものすごく綺麗な人なのだがどうしても魅力的に映らない人がいた。僕が思うその大きな理由の一つが、顔の笑い皺以外が笑っていないことだった。目はもちろん、口も口角がどこか上がりきっていない、化学調味料ばかりの味がするのに「無添加です」と言われているような気持ちになる顔だった。「私彼氏何年もできていないの」と僕と同じ歳でありながら「何年も」と使うあたりにどこか引っ掛かるが、いろいろと含みを持たせるような言い方で言い、小さくため息をついて、「あなたとのこの出会いは特別なものだといいな」と笑顔になった。そのときの目はちっとも笑っていなかった。「私笑顔が多い人、魅力感じちゃう」と、全く笑顔を見せない僕に言ってきたが、僕はどうしても笑顔を見せる気になれず、未完成な愛想笑いでその場をやり過ごした。その人との別れ際、「楽しかった。また、来月(その日は月末だった)会おうね」と彼女に言われた。僕は「そうですね、予定が決まったら連絡します」と言ったきり、彼女との関係を一方的に絶った。嘘つきだなと自分でも思った。実際には言われていないが、「私嘘つく人嫌いなの」と言われたような気がした。


 今年、何度も話題に出しているが片思いしている相手に数年ぶりに再会した。彼女は、就職活動中で東京に来ていたが、その日以外にも東京に就職活動で来るというから、また会う約束をした。僕は無理矢理その日の予定を全て無くして(別の日に移して)まで彼女との予定を優先した。そうして何度かその当日まで連絡を繰り返して、前日に待ち合わせ時間と場所を確認しようと電話をかけた。だが、繋がることはなかった。僕は、彼女に何かあったのか、自分が何か余計なことをしてしかも自覚がないままで、それが原因で嫌われてしまったのかなどと考えては眠れなくなっていた。結局連絡が来たのは、もともと会う予定だった日の翌日で、彼女は連絡をしなかったことと約束を守れなかったことを謝った上で、家族の不調を僕に説明した。最低限の文章量で。僕は、人生に数少ない、膝から崩れ落ちる経験をそのときにした。ちなみに、一度目も彼女に関することであった。それから2ヶ月(まだそれくらいしか経っていないのかと今この記事を書きながらも驚いている)、彼女からの連絡は徐々に数を減らし、ペースも落ちていった。最後に交わした直接的な会話は、「再来週もまた、東京に来るから、その時に会おうよ。私の数少ない友達だから、会ってくれると私も嬉しい」だった。この言葉で僕は希望と絶望を同時の提示された気持ちになった。その後の連絡での最後の会話は、「私が落ち着いたら、またご飯一緒に食べようね」だった。


 ここには二例しかあげていないが、他にもそういった経験は、22年の人生で両手では納まりきらないほどあった。その度に僕は傷ついて、同様に誰かを傷つけていたと思う。最近は別れ際、僕は「また会おう」という言葉を使うのは怖くなってしまった。また、聞くのもおそろしい。別れの言葉はいつも「再会の仮面」を被って現れる。

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