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二百ラジオ vol.11

こんにちは、浦辺二百です。

二百ラジオ第11回のテーマは「勉強」です。

僕は今テレビ番組の制作の仕事をしているわけですが、
そこでも色々と勉強をすることがあるなと日々感じています。
小学、中学、高校、大学と勉強をしてきた
(勉強しているもののジャンルは違いますが)わけですが、
働いてももちろんながら勉強することは
たくさんあると再認識しました。

僕は恥ずかしい話、高校生の時、
勉強をほとんどしていませんでした。
理由は、教師への反抗心が大きいです。

「受験は団体戦」、
「公立大進学を全員目指して」
と言われることが嫌で、
その反抗心だけで
あらゆる教科の勉強をしていませんでした。
以前、勉強することの意味を
どこかで話したと思いますが、
一番聞いて欲しいのは高校生の自分です。
「勉強」を「誰かのためにする」ことが嫌だったわけです。
ですが、僕が通っていた高校の先生は、
こう話していました。

「誰かが勉強をして、
成績を伸ばすことで、
周りの意識が変わる。
自分のためだけではなく
周りの人のために勉強する喜びを得よ」

僕は、これがどこか洗脳に感じてしまい、
これにより勉強自体をしない選択をしました。
そのために、試験中は、ふざけた回答を繰り返して、
真面目に解いていてもわからないことが多かった3年間でした。

ちなみに関係はありませんが、
僕は「マルクス=アウレリウス=アントニヌス」が好きで、
世界史の解答用紙以外にもたびたび登場させていました。

ですが、大学に進学して、
大学で好きなことを勉強し始めた
ということもあるかとは思いますが、
勉強全般を楽しいと思うようになりました。

きっかけは中国語を学んだことにあります。
僕の通っていた大学には、
中国人留学生が多く構内では
中国語が色々な場所から飛び交っています。
彼らの話を理解してみたいと思ったことから、
中国語を彼らに頼んで教えてもらうことにしました。
そして、少しずつやっていくと、
一切意味のわからない
音だけに聞こえていたものが、
自分の頭の中で文字として認識され、
それが連なり言葉となって、
虫食いではありますが、
文章になって理解できるようになったことがとても嬉しく、
楽しくなったわけです。

勉強の喜びを感じるたびに思うのですが、
本来僕は勉強は楽しいものだと思うんです。
ですが、ほとんどの人がそれを知らないんです。
これは実はとてももったいないことだなと、
僕は思います。
でも、仕方がないことだなとも思います。
その理由は、僕の経験上、
学校の先生に
「勉強の楽しさを教えられる人が多くない」からです。

僕自身勉強の楽しさを教えてくれた人には
出会ったことはありません。
また、出会ったという人にも出会ったことはありません。

中学のときに、
「私は勉強の楽しさを教えられる人。
それでもそれがわからないのは
君たちがそれを受け入れる器を持っていないから。
親がその器を育てることをしないから」
ととんでもなく傲慢な思考を
持っている先生には出会いましたが。

僕も、勉強の楽しさを知っている人間の一人ですが、
それを教えられるとはとても思えません。
それほど、勉強の面白さとは、
奥が深く、
自分で気がつくしかないものなのかもしれません。
また、僕はまだそこまで
傲慢には慣れていないんだと思います。

かといって、それを広めることを
諦めたいとも思いませんが、
僕の人生のサブミッションとして、
色々これからも考えて、
悩んでいこうと思います。

それではまた。浦辺二百でした。ありがとうございました。

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