食べれないひとの年末年始
これはどれくらいのひとに共感してもらえるかわからないのだけど、私は「ひとを満腹にさせること」が怖い。
もう十分食べたひとに「まだまだもうちょっと食べれるでしょう」とさらに食べ物をすすめるのなんて、もってのほか。
「もっとたくさん食べてね」
よりも
「そんなに食べて大丈夫? 無理してない?」
の心配のほうが先に立つ。
というのも、私は少食なほうだ。
いまはすこしマシになったけど、以前は外食の1人前の料理が食べきれなかった。というより食べてる途中で腹痛になってトイレに駆け込むのがおきまりで、これは誰かの家におよばれしたときも同じだった。
「あ、これ以上食べるとやばい」
という瞬間は唐突にやってきて、そこからもう一口か二口食べると即座に腹痛に至る。腹痛は腹痛なのでトイレではもちろん苦しいし、ようやく食事の席に戻ったときには顔面蒼白、という具合。
なので親しい友だちにはわけを話して理解してもらっていたけど、やっかいなのは忘年会や親戚の集まりなのだ。
忘年会みたいなお酒を伴う会食って、食べ物が残りがちだったりする。そうして私ははたからはたいして食べていないように見えても実はもうお腹の限界を迎えている、という状況で、
「ほらほら、余るともったいなから食べて~」
と言われたりする。
た、たしかにもったいないよな、、と思いつつももう食べられないし、というか、そう進めてくるそのひともさっきからそんなに食べてるように見えないので、
「私、もうけっこうお腹いっぱいで、〇〇さん、いかがですか?」
と言ってみると
「私はいらないから! あなた食べて!」
とさらに強めにすすめられる。なんなら皿にどんどん盛ってくる。
こうして自分の皿に並々と盛られた鍋なんかを前にすると、私はちょっと絶望的な気持ちになるのだ。
さっきの「私はいらないから! あなた食べて!」というのが実は私に遠慮させないための口上だったりすることもあるから厄介だなと思う。
親戚の家に行ったとき、実家に帰ったときも同じかんじになる。
どんどん料理を出してくれて親族特有の押しの強さで「食べろ食べろ」となる。手料理だし残すのは心苦しくて精一杯がんばるけど「もう大丈夫です」が完全にスルーされて次々と食べ物が出てくると、私はやはり絶望してくる。
お腹いっぱい食べさせてあげたい
という気持ちがあってそうしてくれるのは、有難いことだけど、本当に本当に食べられないときがある私は、困ってしまうことのほうが多い。
断固として断ったり、食べられない体質について説明したりも、なんとなく向こうの気を削ぐかと思われてできれば避けたいのです。ちなみにこの2つの方法は自分の親にはまったく通じなくて「ちょっとぐらい食べれるでしょ」「食べないからダメなんだ」と怒りをかったりするから、できなくなってしまっているというのもあると思う。
「もう大丈夫です」「もう食べられません」と言っても「いいから食べて」となると、なんだか言葉が通じないものと対峙している気持ちになることすらある。
世の中には
「お腹いっぱい食べるのが幸せ」
「お腹いっぱいでもデザートは別腹」
「たくさん食べさせてあげるのがいいはず」
という考えのひとがけっこう多いと思う。
そういうひとと私みたいな人間との間には断崖のような溝がある気がしている。きっと、わかりあうのはむずかしい。
私は「すこしで大丈夫です」と言うひとのお茶碗に少なくご飯を盛ってあげることを、本当にそのほうが優しい行為だと信じて行っている。でもたぶんこれって少数派なのだろうと思う。
さて、まもなく年末年始。食べれないけど食べるシーズンが来る。
少食な人間ってちょっと生きづらい。
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