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#書く術 note 第8回 直塚大成 エッセイNo.5 『信長の眺望』

こんばんは。
『書く術』(仮題)製作委員の小倉碧です。

ライター、田中泰延さんと、本プロジェクトでライターとしてデビューされた直塚大成さんによる共作となる書籍『書く術』の公式noteでは、
主に直塚さんが、『書く術』製作委員会から「面白いもの書いてください!」との、ざっくりとしたオーダーに答えて書かれたアウトプットを発表してきました。

『書く術』noteで発表する直塚さんのエッセイは、
今回が第5回目となります。

私が更新担当の回がなぜかおしなべて「宇宙がらみのネタ」であることに、何らかの「意図」があるのではないか、と感じた方がいらっしゃるかもしれません。
しかし、これはあくまでも偶然の一致にすぎません。
本当です。

天体ネタエッセイその1 『流星群』

天体ネタエッセイその2 『隕石回収メソッド』

そして今回の「天体ネタエッセイ」は、
2022年11月8日、同時に発生した皆既月食&天王星食。前回の観測事例は442年前の1580年7月26日であり、あの織田信長も観ただろう、と報じられているけれど、暦のズレなども勘案すると、はたして本当なのか?
ということについての論考です。

上記の『隕石回収メソッド』のnoteでも書きましたが、
私、小倉は、これまでの人生で2度ほどUFOと遭遇している割には、
「何百年に1回しか観れない」系の、天体観測には疎いほうなんです。

それはなぜかと考えたとき、直塚さんが今回書いているように、メディアが言う「何百年に一度!」とか「あの織田信長も観た!」といったキャッチコピーから、直塚さんが今回書いている「客寄せパンダ」的な香りを察知したからなのかもしれない、ということを思いました。

嘘じゃないかもしれないんだけど、話題を呼べそうな「米粒大」のトピックを、盛大に膨らませて「バスケットボール大」にしているんじゃなかろうか、という。

などと言いつつ、
私自身も「書籍」というメディアを作っているメディア関係者なんですけれども。

さて、そのあたり、一体どうなんでしょうか?
では、直塚さん、どうぞ。


『信長の眺望』

直塚大成

2022年11月8日、皆既月食と天王星食が同時に起こりました。あの日、僕は月食だけで満足してしまったのですが、今回の目玉は月食中に惑星食が起こることだとあとで知りました。直近の観測事例は442年前の1580年7月26日。次回の観測予定は332年後の2344年7月26日。ただの月食だけなら3年後にまた見れるらしいです。なんてこったい。

それは置いといて、この442年ぶりという言葉はやけに視聴者の目を引くようで、各種メディアは「織田信長も見たぞ!」「天下布武を望んだ月!」とか信長の親族でもないのに騒ぎ散らしていました。この中に『織田信成の"滑るけどスベらない"チャンネル』で同じ日に公開された「【プロローグ】羽生くんのアイスショーを観に行ったらやばかった【ネタバレ注意】」という動画を見た記者はいるのでしょうか。いないでしょ。信成さんは月より羽生くん見てたんですよ。

——という経緯から、僕の心にはメディア側が客引きパンダのように織田信長の名前を使っているのではあるめえかという疑惑が浮かんできたのです。本当に信長が見たという保証がないじゃないか。そもそも1580年の日本は西暦を使っていないぞ。ふはは、今こそメディアの欺瞞を暴いてくれようぞ。

歴史天文学を研究している国立天文台特別客員研究員の谷川清隆さんなどによりますと、計算の結果と一致する時間帯に月食が起きたことを示す記録が古文書に残されているということです。徳川家康の家臣、松平家忠が記した「家忠日記」には、天正8年6月15日に「月しよくいぬゐの時かいけん」と読める記述があるということです。

NHK 皆既月食(2022年11月)東京ではいつ?どう見える?天王星食も同時に

NHKが丁寧に取材してました。

おしまい。


——と、NHKのテロップまで流れそうな空気ですが、そう簡単には引き下がりません。歴史天文学を研究している国立天文台特別客員研究員の谷川清隆さんが間違っている可能性も捨てきれません。歴史には細かいズレが必ず存在します。

現在のグレゴリオ暦が導入されたのは明治時代です。そしてこの時、旧暦12月2日の翌日が西暦1月1日になりました。これは世間的には欧化政策の一環とされていますが、実は明治政府が官僚に2カ月分の給料を払いたくなかったから改暦したという逸話があります。太陰暦を用いた旧暦には3年ごとに閏月があり、翌年の明治6年は閏月を含めた13か月になる予定でした。しかしそうすると、政府は当然13カ月分の給料を支払わなければいけません。そこで、偉い人は言いました。「お金ないからなんとかしたいなあ。そうだ。グレゴリオ暦を採用すればいいじゃないか!おーい磯野、欧化しようぜ!」的なノリで導入されたそうです。布告から実施まで1ヶ月足らず。しかも11月2日から採用されたからなぜか11月分の給料も省略されました。このように暦の変わり目にはこうした恣意的なズレも起こります。この年(明治6年)は改暦で1年間が355日間から327日間になりました。つまり、28日短いのです。

さらに言えば、西暦そのものにズレがある可能性だってあります。みなさんなんとなくご存じかと思いますが、1年は365日ではありません。国際標準は365.242189日です。365.259635日とする説もあります。365.256363日とする説まであります。素人目にはそこまで刻む意味を感じませんが、感じないから素人なのです。1年を365.25日とする『ユリウス暦』から1年を365.24189日とする『グレゴリオ暦』に移行した理由は、暦が1000年間で10日もズレてしまったから。「10日も」というところを読んで「むしろカエサルの時代に作られたユリウス暦が1000年で10日しかズレてないって、精度しゅごい」と思ったのですが、他に閲覧したどの資料にも「10日も」と書かれていたので永遠に僕は素人でいることを決めました。

閑話休題。こうやって考えていくと、信長の時代まで遡ればとんでもないズレがあってもおかしくありません。ふはは、「信長が見たかも!」などと適当なこと抜かしたメディアよ。今度こそその鼻を明かしてくれようぞ。覚悟しやがれぃ!

日本歴西暦月日対照表、野島寿三郎編

合ってました。

おしまい。


制作・著作
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ちなみに旧暦から西暦に変わった時、大衆はひどく動揺したようです。そして、その隙をついて福沢諭吉は『改暦辨』を1カ月で書いて、出して、バカ売れしました。売り時の見極めが天才的です。近年では信長評も一変し、最新研究では堅実で合理的な武将だったという見方が強まっています。というわけで月食はほどほどに、みんなで学問のすすめを見ましょう。



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