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ビールを始めた最大のきっかけ〜なぜ、ビールを作ろうと思ったのか? Vol.4 〜

前回は衝撃の事実が起こるまで、すなわちもう「自立するしかない」という道までを記しました。ということでようやくビールにたどり着きます。ということで4回目、ラストです!

■補助金の終了〜たいようの醸造場

「MobilExSchool」事業が、煮え切らない状態が続く中、ある出来事をきっかけに「これはアキナイ山王亭を出るタイミングなんではないだろうか?」。スタッフもいるし、自立しないとと思うタイミングで、これまでお世話になった人たちに話をしてる中で、「もう補助金が終わるんだよ、なんとかしてくれないか。」と話が出てきました。

これまで正直ブラックボックスというか、商店街にお任せしっぱなしだった運営。僕らは2万円という破格な賃料で、アキナイ山王亭をお借りしていました。商店街理事たちの「補助金が終わるまでにはそれぞれが独立してくれたら・・」という初期の想いは、すっかり抜けてしまい、売上などあまり考えずな甘えてばかりの僕には衝撃の話でした。

そこからはもうやるしかないので、主に2つのことを決めました。

1)大森コレカラカイギを休止にして「アキナイ山王亭」を立て直す
2)そのために、ウルサイの事業を本格化させる

1)に関しては、当時のメンバーに協力してもらい、貸し出し事業を始めるために、料金の見直しやルールの規程などを行いました。それに伴い、日頃使われていない夜時間帯を有効活用し、そこで出会った人たちが、アキナイ山王亭を利用できるような導線を作れないかと考え、夜に「たいようの醸造場」というクラフトビールを中心にした展開ができないかとスタートしました。

■たいようの醸造場

この時点ではまだクラフトビールは作っていないのですが、キリンビール大学で得た知識と、タップマルシェという凄まじい機械を大森で2店舗目に手に入れることができたので、毎週水・木・金の3日間スタートしました。それに伴い、それまで続けていた大森の盟友岸本さんと運営していた「居酒場 や」をこちらに移転しました。またもや設立趣旨。あくまで「MobilExSchool」の一つでした。

学校に行って来ると言い訳して飲みに来てください。私たちが提供するのは、たくさんのきっかけです。

私たちは考えます。学校とは学ぶところでありつつ、何かしらのきっかけを生む場所ではないかと。この場で出会った人と話したことがきっかけで何か翌日から行動が変わったり、ここで出会った食材がきっかけでその店に訪れてみたり、ここで知ったことがきっかけで、新しいことを学んでみたり、、
全てが体験だと考えています。

きっかけが生む行動を私たちは発酵すると定義づけました。それが明日だろうが、1年後だろうが、ここで獲得した芽はきっと開くはずです。

その後はこの会場でもある「アキナイ山王亭」で色々なことに挑戦することもできます。

そのために、私たちスタッフ一同尽力したいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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イメージはこんな感じでした。「たいようの醸造場」はそれまでの「アキナイ山王亭」のイメージを変えるべく、色々と考え実行しました。

※2017年〜2018年の活動まとめ

ここでいろんなスタッフやお客さん、そしてミュージシャンなど多々いろいろな出会いが生まれるのですが、それと並行して、自分たちでクラフトビール、大森発のビールを作ろうと動き始めたのでした。

2018年5月に酒類販売免許を取得し、ようやく羽田麦酒で作った大森山王ビールをリリースしました。

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■もう1つ大きなきっかけ

これまでの話はどちらかというと必然に迫られて、そして環境があったの部分がとても大きいのですが、もう1つ大きな理由がありました。

それは「いわゆるまちづくりって必要あるの??」という問いでした。こういう活動ってやってる人たちはもちろん、大変だけど楽しみもある。だけどそこに住む人たちってその活動がなくても別になんの影響もない→関わらない→内輪っぽくなるという形になっていくかと思います。

なので、それを打破したかった、「ビール」という誰でも知っているコンテンツを使うことで、もっとまちの人たちにアプローチできないか。そのきっかけが作れないか、それが「たいようの醸造場」の始まりでもあり、「大森山王ビール」の始まりでした。

その辺の話はまた追ってお知らせするとともに、アキナイ山王亭に来て5年、だいぶ回り道をしてビール事業に足を踏み入れました。ということで、ビールができるまでシリーズはここで終わりにします。その後の激動はまた別の形でお届けします!

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