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新しくないんだけど今新しい経済〜居場所よりも関係〜

先月くらいからちょこちょこアップしているのですが、家時間が増えたこともあってか、いただきものが増えました。
野菜、果物、お菓子、、、お客さん、知り合いから色々なものをいただき、普段スーパーで買うものより美味しいのはもちろん、ちょっとした、不確実性が楽しいなと思っています。

例えば「空芯菜」を頂いた時なんか、この1年外で食べる以外、全く食べない空芯菜をどう調理しようかなんて、スーパー行ったって思いつかないですよね。でも、何を作ろうかってすごく楽しんでいる自分がいるんです。

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桃を頂いた時も、普段全く果物を食べない僕はどうしたらつまみになるかを考えて、生ハムとチーズで巻くなんて言う、トレンディドラマ風な食卓になりました。

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より豊かにと考えた場合、たしかに獲得するお金を増やすという方法もありますが、出ていくお金を減らすという方法もあるわけで、そこを節約とかもあるけど、もらうっていうのはすごく良いなと思いました。

僕は田舎の無い東京人なので、物が送られてくるというのが極端に少なかったので、その体験自体が嬉しいし、もらえば何かを返そうとして続いていくし、そういう経済を贈与経済っていうんですかね?すごく良いなと思ったんです。

■震災時の話

で、そんなことを思っている時に思い出したのですが、かつて結婚をしていた時、畑がある義理父がいつも家族で食べきれない量の野菜を送ってきて、それを元奥さんは自然にマンションの住民に配っていたんですよね。都会のマンションって下手したら隣に誰が住んでいるかわからないなんてこともあるかと思うのですが、そういうやりとりをしていた。

で、ちょうど震災の時、僕は会社にいて、もうすぐ2歳の小さい息子とともに頼る人も少ないから怖かったと思うんですよね。でも、気づくと、そのマンションの周りの住民の方が大丈夫?って見に来ててくれたみたいで、そのために野菜を配っていたわけではないけど、そういう関係もあるんだと感心したものでした。

■居場所の話

話は変わって経済と関連性があるかわからないんだけど、僕は「居場所」って言葉にずっと違和感があって、「居場所」が例えあったとしても、そこに関係がないと、きっと居場所にはならないんですよね。関係を作れる可能性がある場所ってことなんだけど、そういう時に、こういうギフトの心があると関わりやすいし、先日書いた失敗の話とも共通することがあると思うんです。

つまりは、経済とは「経世済民」、「世を経めて(治めて)民の苦しみを済う(救う)」っていうけど、中身を突き詰めれば、こうやって続いていく関係なんじゃないかと考えると、まずは自分が何かを与えるってすごく大事なことだと思うんです。言うのは簡単だけど。

割り切った関係っていうのがありふれてるし、人と人とがコミュニケートしにくい中だからこその「ギフト」。言ってしまえば見返りを求めない関係。だからこそ続いていく。

ちょうど昨年、YOUをリリースする前に、隣町珈琲の平川克美さんにお話を聞かせていただいたんですが、この「贈与」の話に深く共鳴しながら聞いたのを覚えています。良ければこちらご参照ください。

もちろん、事業者である限り、商売という割り切りも必要なんだけど、会社としてこういう贈与が出来ないものか、そしてそんな経済のあり方も変わってくるんではないか?という予感がしています。

そして、それをビール屋として何をするかというのがポイントになってくる気がしますね。

明日はnote30日チャレンジの最終日なので、そのあたりの話をしてみようかなと考えています。

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