しごとがあなたをよんでいる。
ひとつまえに、「呼ぶしごと」と「呼ばれるしごと」についてかきました。
こんかいは、私がどうやって「呼ばれるしごと」のこえをきいたのかについてかきます。
わたしは、3さいのときに、このうえなくしあわせなきもちにつつまれたことがあります。
ことばではいいあらわせないのですが、すべてがみちたりて、なんのふあんもない、そんなきもちでした。
そのときに、わたしのむねのなかにあらわれたのは「すべての人は、ひとしくある」というきもちでした。
ねんれいやせいべつ、どこで生まれただとか、そんなことはかんけいなく、人はすべてよこならびだというきもちです。
いまになってみても、なんでそんなきもちになったのかは、わかりません。
でも、あのときのみちたりたきもちをこえるしゅんかんは、いままで生きていてもありません。
そして、なにがおきたのでしょうか。
じぶんのなかにある「すべての人は、ひとしくある」というおもいとは、まったくぎゃくのことが、わたしのめのまえでくりひろげられることになります。
やれ、どこのこはさんすうがとくいだの、やれ、だれだれちゃんはうんどうができるだのといって、おやたちはこどもに「さ(差)」をつけはじめます。
わたしもその「さ」のなかに、いやがおうにもまきこまれていきました。
そして、きずついていきました。
この「さ」をつけるやりかたは、どこにいっても消えません。
せかいのありとあらゆるばしょにあります。
ひどいときは「さべつ(差別)」となって、ひとびとをのみこみます。
かなしいことです。
そうやって、「さ」のなかにまみれていると、あることにうっすらときづきはじめました。
それは、どうやら「さ」は「ひょうか(評価)」によってうまれるのではないかということです。
せんせいや、そしきのリーダーが、じぶんがめんどうをみているせいとやぶかにひょうかをあたえて、そのひょうかをならべると、りっぱな「さ」のできあがりです。
そんなふうに思っていたところに、あるアクシデントがおきました。いまおもえば、これは「呼ばれるしごと」のこえをきくためのさいこうのチャンスでした。
とうじのビジネスパートナーが、あるしごとをしているときに、わたしやほかのチームメイトにぼうりょくてきで、上からな「ひょうか」のことばをあびせてきたことがありました。
このビジネスパートナーとわたし、それからチームメイトはひとしくよこならびでしごとをしていたのにもかかわらずです。
そのときに、わたしのなかで「ひょうか」というしげきで、じぶんが「さ」による「ひょうか」で、わたしが負ってきたきずがはっきりとかんじられました。
そのきずのいたみが力になって、「みえないスイッチ」がオンになったのかんじたのです。そのスイッチは、「呼ばれるしごと」のこえをきくための「みみ」のスイッチでした。
そのスイッチにはラベルがはってあって、こうかいてありました。
人は、ひとしくよこならび
わたしは、「呼ばれるしごと」のこえをきくと、すぐにアプライトネスをつくりはじめました。
そして、チームメイトには、じぶんが「ひょうか」によっておったきずのことや、ひとしくありたいことをつつみかくさずおはなししました。
それから、どうすれば「人は、ひとしくよこならび」であれるのかをさいしょにあつまったチームメイトとたくさんはなして、チームのなかのルールをきめました。
そうしてできあがったのが、いまのチームです。
あったこと、かんじたことをすべてを伝えるのがむずかしいので、この記事のこまかいことにモヤモヤをかんじられるかもしれませんん。
こまかいことがお知りになりたい方は、2021年3月いこうにイベントをひらくつもりでいますので、ぜひさんかください。イベントは、1かいだけではなく、ていきてきにひらくつもりです。
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