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きめつけはよくない。

あなたが、なかのよいと思っている人からいきなり「おまえは、あたまがわるい」といわれたらどうかんじますか?

とつぜんのことに、かたまってしまう人もいれば、おこりだす人もいるかもしれません。わるいじょうだんだとかんがえて、笑ってやりすごす人もいるかもしれません。

どの人もきっと、よいきぶんではないはずです。

ではさらに、あなたがなにかをするごとに「おまえは、あたまがわるい」といわれつづけたらどうですか?

とてもすてきなアイデアを思いついて、はなしたら「おまえは、あたまがわるい」。どこでごはんをたべるかをそうだんしたら「おまえは、あたまがわるい」。そんなふうに、なにをしても「おまえは、あたまがわるい」といわれつづけたらどうでしょうか。

きっと、「おまえは、あたまがわるい」といいつづける人といっしょにいるのが辛くなってしまうのではないでしょうか。

いまのはたとえばなしですが、いがいと、みんな知らないうちにやってることかもしれません。

では、なんで「おまえは、あたまがわるい」といわれつづけると辛くなるのかをかんがえてみましょう。

これは、わたしのかんがえですが、きっと「ひょうか(評価)」だからではないでしょうか。

「ひょうか」とは、だれかや、そのひとがすることにたいして、よいかわるいかをきめつけることです。

たとえば、わたしがだれかにたいして「わたしは、あたまがよいと思うか、悪いとおもうかをおしえてください」とおねがいしたときに「おまえは、あたまがわるい」といわれたのであれば、「ああ、この人は、わたしのことをあたまがわるいとかんがえているんだな」と、うけ入れられます。

じぶんが、あいての人にわざわさしつもんしているわけですから、はらを立てることはないです。

ですが、わたしたちはふだん、きかれてもいないのに、あいてのことや、あいてがすることを「ひょうか」してしまうことがあります。

それも、なんどもなんども。あいてのきもちなんか、しらんぷり。きめつけてきめつけて、それこそなんどもあいてをきめつけます。そして、あいてをかなしいきもちにしてしまうのです。

それこそ、なんどもなんどもかなしいきもちにしてしまいます。
とてもおそろしいことです。

こちらからきいてもいないのに「ひょうか」ばかりしてくる人とは、たのしくいっしょにすごせるわけがありません。いっしょに、しごとができるはずもありません。

「きょうかん(共感)」とは、あいてがなにをかんじているか、なにをかんがえているかをイメージしてうけ入れることです。たとえそれが、じぶんのかんじかたや、かんがえかたとちがっていてもです。

「きょうかんする」とは、たとえばこんなことです。

ある人が、もうひとりの人とでかけたいとかんがえて、「どこかにいこうよ」といったとします。でも、もうひとりの人が「きょうは、あめがふっていてぬれるからでかけなくない」といったとします。

そのときに、こんなふうにかえしてしまうのは、「ひょうか」です。

「かさをさしていけば、ぬれないだろう。そんなこともわからないのか」

「ぬれるからでかけたくない」といっている人も、かさをさせばぬれないことくらいは知っています。

まず、そのことがあいてのきもちになってイメージできていないことが、とてもざんねんですね。そのうえで「そんなこともわからないのか」と、かさをさしていればぬれないことを知らないときめつけてしまっています。

では、「きょうかん」でつたえるとどうなるでしょうか。

「そうだね。ぼくも、あめにぬれるのがいやなんだ。あめにぬれたふくをきているのが、いやなんだよね。きみはなぜ、ぬれるからでかけたくないのか、よかったらはなしてよ。あめでもたのしくでかけられるように、いっしょにかんがえるよ」

まず、じぶんもおなじきもちであることをつたえています。

それから、でかけたくないきもちをうけとめて、あめでもたのしくでかけるにはどうしたらいいか、いっしょにかんがえようよとつたえています。

あなたなら「ひょうか」をしてくれる人と「きょうかん」をしてくれる人、どちらといっしょに生きていきたいですか。

アプライトネスのチームメイトは、「きょうかん」して生きていこうときめました。

チームメイトにきょうみのある方へ。

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