いちばんたいせつなのは「なにがしたいか」。
こちらの記事で、「なにがしたいのか」は、わたしたちのチームでは「なにができるのか」とおなじか、それいじょうにたいせつにされているとかきました。
なぜ「なにがしたいのか」が、それほどたいせつなのでしょうか。
わたしはつねづね思うことがあります。人は「なにがしたいのか」とのつきあいかたをまちがえやすいということです。
げんいんはいくつかあると思いますが、おもにつぎのふたつではないのかなとかんがえています。
1. じぶんの「なにがしたいのか」をくちにするのは、わがままであるとかんがえているから。
2. 「なにがしたいのか」を思いついたら、それはすべてひとりでこなさなければいけないと考えているから。
ひとつめについては、どうやら、じぶんのきもちを人につたえることが「わがまま」ととらえられるという、かんちがいによるのではないかという気がしています。
じぶんのきもちをあいてにおしつけるのは、たしかに「わがまま」のように思います。しかし、じぶんがなにをしたいと思っているか、どうしてそう思ったのかをちゃんと伝えられれば、それはきもちのおしつけではありません。
「したいことがあるから、たすけてほしい」とまわりにおねがいできるんだということと、そのほうほうさえしっていれば、ちゃんと「なにがしたいのか」はまわりにうけ入れられます。
まわりにうけ入れられれば、もうけものです。まわりの人が、あなたを手伝ってくれることすらあるかもしません。
もうひとつのげんいんについては、どうでしょうか。こちらは、「わがまま」ととらえられるという、かんちがいを信じてうたがわず、「なにがしたいのか」というきもちをじぶんでなんとかしようとしてしまうというものです。
「わがまま」ととらえられて、まわりからひややかにあつかわれるくらなら、じぶんでなんとかしようというわけです。
けれどもごぞんじのように、人はひとりではいきていくよりも、たすけあったほうが、はるかに楽ですしでたのしいです。
「なにがしたいのか」は、生きているかぎり、人のなかから消えることがありません。
それであれば、じぶんの「なにがしたいのか」をまわりの人たちに知ってもらって、たすけてもらった方がどれだけしあわせでしょうか。
わたしたちは、チームメイトのそれぞれが「なにがしたいか」をいちばんにもってきておはなしをします。
「なにがしたいのか」から、そのチームメイトをどうたすけるのがよいのかをかんがえます。
そうすると、おもしろいことがおこりはじめます。
みんなでするしごとをひとつとってみても、チームメイトのだれもがそのしごとを「じぶんごと」にしはじめます。
あるしごとがあって、それはチームメイトのだれかの「なにがしたいのか」とかさなっていたとしましょう。ここでは、そのチームメイトをかりにAさんとします。
しごとが、じぶんの「なにがしたいのか」とかさなっているAさんは、そのしごとをいっしょけんめいにやります。とうぜんですよね。じぶんの「なにがしたいのか」とかさなっているしごとですから。
そして、ほかのチームメイトにとってもそのおしごとは「じぶんごと」になります。なぜなら、わたしたちのチームメイトは、つねづねAさんから、じぶんがなにをしたいと思っているか、どうしてそう思ったのかをきいているからです。
ですから、「Aさんのためなら」と、「じぶんごと」として手伝えるのです。
もちろん、Aさんを手伝ったほかのチームメイトが、 Aさんとおなじようにじぶんの「なにがしたいのか」とかさなったおしごとをすることになったときは、Aさんも「じぶんごと」として手伝います。いえ、よろこんで手伝えるんです。
私たちのチームでは、「なにがしたいのか」をひとりでかかえるひつようはないです。おたがいさま。よこならびで、たすけあうのです。
「なにがしたいのか」を「じぶんごと」としてこなそうとするときに、はじめてそれぞれのチームメイトが「なにができるのか」がだいじになってきます。
よのなかをみわたすと、「なにができるのか」でいっしょにはたらく人をえらぶ会社が多いですが、わたしにはとてもふしぎに思えます。
「なにがしたいのか」をもっていて、それをちゃんとまわりに伝えられる人といっしょにしごとをしたら、だれもがどんなしごとも「じぶんごと」でしてもらえるのになぁと思うからです。
チームメイトにきょうみのある方へ。
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