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徳永充 39歳 DVDレンタル販売

徳永と申します。

都内でDVDレンタル店の販売員をしております。
前に映画企画の取材でお世話になったテレビ番組のスタッフOさんに言われ、
なにか文章を書いてみてほしいと言われました。
その時はお酒が入っていたので快く引き受けたものの、正直言いまして私は映画は好きですがあまり文を書くことには自信がありません。この1文を書くのにも30分程度考えなくては書けない始末です。
ですので、大学生の頃から書きつづけている私の日記を、最近の数日分、そのまま写させていただくことにします。私の生活の「大きな変化」が記されています。

4月7日
緊急事態宣言が発令された。
●●(勤めている店名)は昨日から臨時休業に入っていたが、しばらくの間再開は難しそうという電話が店長から来た。仕事自体が休みになるのはいいのだが、1日いくらの派遣の私の場合は一体、この先給料はどうなるのだろうか?の方が問題だ。それについては今考えているので待って欲しいとのこと。
しかし、そういうことを考えてから電話をするのが本来筋というものではないか。
おおもと政府の対応も後手後手に回っている印象が否めない。休業補償について具体的に何も触れない中で「ただ休んで欲しい」というのは、例えると
高層ビルの屋上にいたら、刃物を両手に持ったジジイが現れ、だれかれ構わず切りつけてくるので、危ない危ないと逃げていたら、構内放送が流れ「みなさま!危険ですのでとりあえずビルから飛び降りてください。なお下にマットを敷くか敷かないかは検討中です」と言われているようなものだ。
ようやく政策が具体で挙がったと思ったら「マスク2枚配ります」と、テレビで見て、私はその時食卓ですすっていたしじみ汁を吹き出し、初めて「選挙に行こう」と思った。ここまで馬鹿にされて黙っていては逆にこっちが悪者である。
たとえ細い一本の針でも、相手に刺しに行こうと思った。
もういい。きょうは大人しく過ごして明日から休みをどう有効的に使うか、考えることにする。手淫して寝た。

4月8日
街から人が消えた。
家の前の商店街は、普段昼から夕方にかけて買い物客たちの会話や自転車のチリンチリンやらで騒がしいが、きょうは何の音もしない。
本当に世界は終わってしまうのではないか、と思う。
遅く起きて昼飯をとっているとテレビでは占いのコーナーをやっていて
私のみずがめ座はとってもラッキーな日なのだそうだ。
こんな世の中で何がラッキーなのだ、と思う。
夕方に店長から電話がかかってくる。休んだ日数の60%を支払う、と言っている。絞り出すような泣きそうな声だ。店長も辛いのだろう。店舗の家賃が厳しいとか言っていた気がする。可哀想だがそんなことは言ってられない。私が店にするように、店は店なりに補償のあり方を自治体に問い続けていくべきだと思う。それが経営するものの責任だ。
私も60%がもらえるとはいえギリギリの生活が強いられることになる。これからは貝のように蓋を閉じて大人しく生きていこうと思った。手淫して寝た。

4月9日
一日中、家で映画を見ていた。
コーエン兄弟、デヴィッドリンチ、クローネンバーグ、サムライミと家にあるDVDを片っ端から出して見ていた。懐かしさもありそれなりに楽しめたが、なぜか学生時代に感じた心が震える感覚がなかった。どんな理不尽なことが画面で起こっても、壁一枚隔てた現実ほど映画的な状況がないからだろうか。
使い古された言葉だが、人生は一本の映画であり、たった一度きりの自分が主人公の作品上映を、噛み締めて生きていかなくてはならないなと改めて思った。手淫して寝た。

4月10日
手淫して寝たら、手淫する夢を見て起きた。

4月12日
人生で、初めての感情を覚えた。
それは、寂しい、というものだ。
両親を亡くし、独身で、兄弟も子供もおらず、友人と言える人もほとんどいない。
そんな天涯孤独な人生を、これまで自分では謳歌していると思っていた。
好きな時に起き、好きな時に好きなものを食べ、好きな洋服を着る。
経済的に許す範囲だが、何一つ束縛されない生活こそが理想だった。
しかし、今晩、晩飯のためにオリジンで弁当を買って、家で食している際、
安い海苔弁当が意外にクオリティーが高く、思わず「うま」と口に出してしまった時、当然部屋には自分の他に誰もおらず、言葉が部屋内にスッと溶けていってしまう感覚がした。
その時、心から「さみしっ」と感じてしまったのだ。
この歳で、寂しさに気づいてしまうのは、正直厳しい。
 細やかな幸せや不満を共有し合えることを、こんなにも自分が欲していたことに驚き、とてもショックだった。そう考えるといてもたってもいられなくなって、荷物入れから硯と筆を取り出し、正座して墨を擦って、字を書くことにした。
幼い頃から心が乱れた時は、書道をすることにしていたからだ。
何を書くかしばらく迷ったが、結果
「霊でいいから側にいて」と行書体で書いて2分ほどその字を睨んでいた。
そうか、自分は、寂しいのか。手淫して寝た。

5月25日
緊急事態宣言が解除された。
日記をしばらくつけていなかったが、とてつもなく忙しい毎日を送っていた。
自らの人生を寂しいと悟った自分は、それからというものスマホで婚活サイトに入会し、異性と出会う機会を設けようと思った。しかし、どう贔屓目に見ても自分は異性にもてる外見をしていないし、人を楽しませる魅力的な会話もできない。陰気で卑屈な映画の世界ばかりを崇高な精神だと思っていたので、ボキャブラリーも内省的な気持ちの悪いものばかりになっていたようだ。
 見た目も少しでもよくしようと思ったが、スポーツジムは当然やっていないのでYouTubeで親切なトレーナーさんがやっている体操を真似てみたりした。食事生活にも気を配り、毎日ブロッコリーとキャベツばかりを食べるウサギのような生活をしていた。トーク技術を学ぶために面白いとされている芸人のトークDVDを何回も見て毎日真似をした。チャラ男と呼ばれている人が配信している「異性を扱う術」の動画も、絶望的な気分になりながら我慢して見続けた。
 そんな努力が実ったのか、婚活サイト内で知り合った何人かの異性と、世の中が落ち着いたら会って話す約束をとりつけた。
そして、今日の宣言解除。
もちろん最新の注意を払ってだが、外で人と会えることになった。
これからの人生が楽しみで仕方ない。手淫して寝た。

6月10日
 結論として、婚活サイトで交際相手を得られることはなかった。
何人かとは実際に会って話すこともできたし、会話も盛り上がったはずなのだが、
年齢や容姿や職業の不安定さが問題なのか、そもそも盛り上がったことさえも自分の勘違いなのか、その後、誰とも引き続いて関係を深めていくには至らなかった。
 大いに失望し落胆したが、長年積み重なった異性関係不適合の性分を、ほんの1ヶ月で取り戻せるのも甘い話かもしれない。アプローチを変えて努力するしかないと思った。
夕方に電話が鳴った。●●(勤めている店名)の店長からだ。休業補償について話があるということで明日、久しぶりに店に出勤することになった。手淫して寝た。

6月11日
 久しぶりに来た店は、まだ本格的な営業を再開しておらず、照明も半分しかついていなかった。新作コーナーと印刷してある派手なのぼりが、虚しく揺れている。
 店長はだいぶん疲れているようで、元々痩せていたが、さらに3キロは減っているようだった。話の内容は、営業再開日と補償金の支払い時期のことだったが、そこまで深刻なことではなかったので、事務室で店長とずっと休日中の過ごし方の話をした。久しぶりに長く話をしたので普段以上に店長との話が楽しく感じ、不意に泣きそうになってしまった。
 夕方5時に家に帰った。手淫せずに寝た。

6月14日
昨晩、店長と交際することになった。
これまで「店長」として認識していたので、彼女が米田香奈江という名前で、私より2歳年上だということも3日前に知った程だった。
 営業再開直後の飲食店で、二人で再び会うことになった。彼女と話してみると映画の趣味やものの考え方が私とよく似ていると感じた。そして今、大きな喪失感に見舞われていることも同じだった。
彼女は、5歳の息子がいて2年前に離婚しシングルマザーだということを、恥ずかしそうに言った。「何が恥ずかしいのかわからない」と私が言うと、彼女は「ありがとうね」とうつむいた。静かに泣いているようだった。
「付き合ってくれませんか」
自分の人生で、一番自然に出た言葉だった。

 その夜、彼女と同じ布団に入った。
 天井を見つめながら、一体これからどんな未来が待っているのだろうか、と考える。
この交際も、異常事態の中で生まれた彼女の一時的な寂しさからきているのかもしれない。日常に戻った時、私のことを醒めた目で見つめ、関係を解消しようと言い出すかもしれない。この歳だ、そんな冷静さも私は持っていなくてはならない。
 でも、少なくともはっきりしているのは、私は、彼女の今抱える悩みや苦しみを全て共有したい、と思ったことだ。
 そう思えたことが私の誇りであり、それだけで生きてきて幸せだと思った。

 手をつないで寝た。

 了。


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