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映画『兎たちの暴走』新田理恵さん(映画ライター)寄稿『トンネルの中の少女たちに差し込む光』

映画『兎たちの暴走』で映画ライターの新田理恵さんに寄稿していただきました原稿をnoteに記載致します。

『トンネルの中の少女たちに差し込む光』

山々の間を流れる川に渡された鉄橋と、工場から立ち上る煙。いかにも時代に取り残された内陸の重工業地帯という風情の町に、17歳の水青(シュイ・チン)は、父と継母、その間に生まれた異母弟と暮らしている。学校には友達もいて、それなりに楽しい日々を送ってはいるが、冷たい継母のいる家には居場所がない。心の拠り所といえば、幼い彼女を捨てて町を出た生みの母の残像だ。
そんなシュイ・チンの前に、都会の香りをまとった女、曲婷(チュー・ティン)が現れる。彼女こそ、シュイ・チンが求め続けた本当の母。突然舞い戻った母は、隔絶された山中の町では完全に美しき異物だが、母の温もりを渇望していた娘には、どこか危うい彼女がどうしようもなく輝いて見える。チュー・ティンを見つめる熱に浮かされたようなシュイ・チンの目。肩を並べて歩く高揚感は、まるで夢を見ているよう。文字どおり、シュイ・チンはチュー・ティンに夢中になっていく。

シュイ・チンには、友達が2人いる。両親が裕福で、傍若無人に振る舞う金熙(ジン・シー)と、すぐ手を挙げる父親と2人暮らしで、家は貧しいけれど容姿に恵まれた馬悦悦(マー・ユエユエ)。それぞれ家庭に問題を抱えている点で共通している3人は、時々ぶつかりながらも、なんとなくうまくやっている。
刹那的で、まだまだ子供に見えても、この3人は常に誰かの心情をおもんばかっている。
チュー・ティンが町に舞い戻ってすぐ、彼女を訪ねたシュイ・チンが「無理に親子になろうとしなくていい」と切り出す。17歳にしては大人な提案が、それまでの彼女の孤独を感じさせて、スクリーンの中のこの子を抱き締めたくなった。
本当の気持ちを押し殺したまま、家庭や社会で大人の顔色を見て生きることを覚えてしまった少女たち。微笑みを浮かべた薄い皮膚の下に、幾筋もの涙のあとを隠している。そんな少女たちにとって、奔放で自由に見えるチュー・ティンは、長いトンネルの先にある大人の世界からやって来た光であり、慰めになったのかもしれない。たとえ、チュー・ティンもまた、18歳の心のまま大人になってしまった少女だとしても。

タイトルにある「兎」には、間違いなくチュー・ティンも含まれる。申瑜(シェン・ユー)監督は彼女を、弱くて、おろかで、でもいとおしい1人の女として描く。
中国(に限らず東アジア全体の傾向か)の映像作品における母親像といえば、かつては“家族のために身を粉にして働くお母ちゃん”といった、潔いまでにステレオタイプにはめられたものが多かったが、近年は、1人の女として、“個”として肯定されたいと望む存在に描かれることが増えた。それは、まだまだ人数は多くないものの、中国の映像業界における若い女性監督たちの台頭と無関係ではないはずだ。そしてこの映画にも、記号的な魔性の女や、不良少女は存在しない。
長編デビュー作とは思えない完成度のこの映画は、中国映画監督協会が主催する若手監督発掘を目的としたプロジェクト第1回「青葱計画」のベスト5に選出され、中国映画界の第一線で活躍するベテラン監督たちの強力なサポートを受けて誕生した。新人にとって、映画を1本完成させ、劇場で公開するハードルは、日本と違わず中国でも相当高いが、こうした若手支援のプロジェクトが継続的に行なわれているという環境は羨ましい。ちなみに、同プロジェクトは今年で第7回まで続いており、巣立った監督の中には、香港と中国大陸を行き来する少女のリアルな青春を描いた『THE CROSSING~香港と大陸をまたぐ少女~』の白雪(バイ・シュエ)監督らがいる。

母娘を演じる俳優たちも素晴らしい。
チュー・ティン役の万茜(ワン・チェン)は、映画だけでなく、日本の中国ドラマファンの間でも「海上牧雲記~3つの予言と王朝の謎」や「三国志 Secret of Three Kingdoms」など評価の高い大作に出演し、“レジーナ・ワン”名で認知されている実力派。これらのドラマ作品でも女神と悪魔の両方の顔を自在に演じ分ける表現力を見せつけたが、本作でもアンバランスでつかみどころのない人物像に説得力を与えている。
そして、なんといってもシュイ・チンを演じる李庚希(リー・ゲンシー)が衝撃的。本作にはプロデューサーに名を連ねる方励(ファン・リー)や脚本担当の邱玉潔(チウ・ユージエ)ら、婁燁(ロウ・イエ)監督とゆかりのあるスタッフが参加しているが、リーのフォトジェニックで硬質な魅力には、同監督の初期の作品『ふたりの人魚』で強烈なインパクトを残した周迅(ジョウ・シュン)を初めて見た時のような驚きを覚えた。日本でもBSで放送中の「花咲く合縁奇縁」や、本国で大ヒットしたドラマ「雪中悍刀行」「漫長的季節」(共に原題)などにも出演。将来を嘱望される若手スターの1人だ。

チュー・ティンがシュイ・チンとその友達2人を愛車に乗せ、出口の見えないトンネルを走るシーンが印象的だ。思いのたけを告白しあう母と娘。「あなたのためなら何でもする」――シュイ・チンの決然とした告白を受け止めるチュー・ティンに芽生えた感情は何だったのか? シェン監督は、兎たちの幻のような幸せな時間が終わる前に、ささやかな希望の光を見せてくれる。


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