電車で暴れる人が家を出る時に手のひらに3回"人"という文字を書くおまじないをしていたらどうする?

滑稽で笑い者だと見下してた人間が、自分と同じ感情を持った人間だったと知った時どんな気持ちになるだろうか。
昔からインターネットには人権侵害コンテンツで溢れているが、私はインターネット漬けだからそういうもの消費したり見てしまうと同時に、将来自分がこうならないんて保障はどこにもないなと思っていた。
私の家から自転車で行けるくらいの距離にネットで有名なaiueo700という統合失調症のおじさんがいるが、直感的に私はそのミームが嫌いだった。それは彼が病気な事が明らかだったし、ネットリンチでイジメる行為自体が気味が悪かった。私が彼の近くの家に住んでる事を知ったネットの友人は、彼の家に行ってみたいと言った人がいた。その友人本人はうつ病だった。普通に生きてる人間はネットで意味不明な事を喋るおじさんに対してそこまで関心を持たない。マザーテレサが「好きの反対は無関心」と言ったように、どこかで自分と近い"何か"を感じ取らないことには、興味も持たないのでしょう。

精神病の中でも一番分かりやすいのが統合失調症だと思う。一般的に想像する精神病のステレオタイプは多分彼等なんじゃないだろか。
ちなみに私も過去に統合失調症と診断されている。しかし診断されたのはaiueo700を知ったかなり後だったので、潜在的にどこかで彼の匂いに自分と近いモノ、もしくは将来的なモデルケースとして想定してたからの嫌悪感だったのでしょう。

ある友人が自分がsyamuさんのようになるのが怖いと言っていた。私はそんなことならないよ、と言った気がする。
何でそうなる確率が低いのかというと、ネットで玩具になるタイプは自分を客観視できないタイプが多いからだ。簡単に言っちゃえば自意識過剰気味だ。もし彼等の自己評価が低くて、他人から笑われているという自覚があり、いかに自分が滑稽であるかという思いを言語化して発信してしまえば、私達はたちまち自分の立場そのものが危うくなると思う。それは狂気を持った人たちと私達が引いていたはずの線を曖昧にしてしまうからで、私達が当たり前のように持つ感情を彼らも持っていることがわかるからである。

電車で声を上げ暴れる人が、家を出る時に手のひらに3回"人"という文字を書くおまじないをしてたり、いざ電車の中で大きな声を出す瞬間にピアノの発表会の前のように緊張していたり、家に帰ってお風呂に入るときに反省会を行っていたらどう思うだろうか。
少なくとも私は電車でパニックになって暴れた時の事を記憶しているが、かなり反省したし、誰かにSNSで晒されてないかに恐怖した覚えがある。

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