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想像することから始めよう

特許法にて発明とは自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいうと定義されている。つまり、どんなに偉大な発明家も自然界の法則から学んできた。その技術はもはや科学か魔法か区別が付かないほどに発展してきた。インターネットの普及に始まり時間を短縮する技術も加速している。それ故に本物か偽物かわからない情報が光の速さで世界中に広がっていく。溢れかえる情報とスピードに疲弊する人間たち。何か大切なことを忘れてないか?

一方で世界中の科学者を集めても人間はたった一つの細胞すら創ることはできない。材料を集めて細胞のようなモノは作れるかもしれない。しかしそれには「命」がない。命というのは後から吹き込むものではなく繋ぐことでしか存在しえない。だから我々は命ある生きた細胞から、次の命に繋いできたのだ。命には寿命があり、永遠ではないのだから。約38億年前この世界に命が誕生し、そこから途切れることなく命を繋いで来たのだ。

人間はその「命」を無慈悲に奪い過ぎるのではないか。世界で起きている戦争もそうなのだが、当事者でない人間も無関係ではないことがある。それは自然破壊だ。人間社会で暮らしている以上は誰一人無関係ではないだろう。身近で言うと私の暮らしている地域は稲作が盛んで美しい田園風景が広がっている。しかし、その裏でコンクリートで整備された用水路や農薬が様々な生き物の住処を奪ってしまった。私が幼少期に見たゲンゴロウ、タガメ、ドジョウ、タナゴなどの水棲生物は今はまったく見る影もない。恐ろしいのは自然に近い地域に住んでいて、自然の恩恵によって生活しているにもかかわらず、そのことに無関心な人間だ。かつて人口が増え続けた日本人の食を支える為に用水路を整備したことも田畑に農薬を撒き続けたことも仕方がなかったことかもしれないし、担い手不足が心配される農業の未来を考えればしばらくはこのまま続いていくのだろう。

果たして人間は高度な科学技術を持った生物か。自然から学んだはずの科学技術で自然を破壊する。これでは人間は地球上でもっとも滑稽な生物ではないだろうか。では今私たちにできることはなんだろう。あるイギリスの詩人は言った「想像してごらん」と。我々が無数の命の犠牲の上に生かされてきたこと。これからは共に生きていく道を探ること。まずは想像することから始めよう。そして私は命の大切さをこれからも発信していきたい。


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