好きな人のかさぶたになりたかった

もうずっと会っていないかつて好きだった人は、私がこれまで出会ったどんな人よりも素直だった。

機嫌が悪い時や落ち込んでいる時はそれが手に取るように分かるし、嬉しい時や楽しい時はあからさまににこにこしているような、そんな犬の様な人だった。

一方で、彼には社会人ともなれば身に付けなくてはいけない空気を読んだり、人に話を合わせたりする事が苦手な所もあった。

歳下ながらにもっと上手く立ち回れないものかと、犬の様な彼を私はいつも惚れた女の顔で見ていたのだった。


彼と仲良くなったきっかけは、一緒に行ったクラブだった。私は一度もそんな所へ足を運んだ事は無かったけれど、彼の事を知れるならと承諾をした。

クラブの楽しさが分かったかどうかは半々な所があったけれど、2人組の女性に声をかけられたかと思えばソファに座ってドリンクを飲む私の所へそそくさと向かってきて、「お話してきたらどうですか?出会いのチャンスですよ」と言う私に

「そうだけどこうやってUOちゃんと話していた方が楽しいよ」

という彼にますます心を奪われてしまったのだった。

家に着いたのは朝7時頃だった。朝帰りをしてさっさと寝ればいいものを、何故か昔の生い立ちの話になった。

中学校も卒業しておらず、幼い頃から家庭が金銭関係で揉めており、所謂闇金絡みの人が常に家に来るような幼少期だったらしい。おまけに彼はつい言ってしまった、という様な顔をしていたがDVの言葉も出てきた。

初めて出会った時に初めて出会った様な気がしなかったのにはこういう訳があったのか、と頭の中で点と点が繋がる。

なぜなら彼ほど壮絶では無いにしろ、嫁姑関係や両親の不倫、私個人の問題もあり、私の家族もまた家庭としての機能を失っていたからだった。

似たようなバックグラウンドを持つ人はなんとなく分かる。成長する過程で同じ人類を嗅ぎ分ける嗅覚も一緒に育つのだ。

そんな私に向かって彼は「大変でしたね」と言う代わりに、「よく道を間違えずにここまで歩いてきましたね、よく頑張りましたね」と言った。

真っ直ぐに立ち続ける事の難しさを知っている彼だからこそ紡げたであろうこの言葉は、これから先何百年と私を生かすものとなった。


「上手く人と話せないから」と言うくせに、仲良くなればなるほど犬みたいに寄ってくるそんな彼が好きだった。

私の心の傷なんてどうでもいいから、これまで彼の身に降り注いだいくつもの理不尽や辛い事を全てチャラにしてしまえるような、そんな存在になりたいと切に願った。

そう思えば思うほど私はいつも彼の事を気にかけるようになり、彼の心がこれ以上傷つかないようにと彼の周りに防御線を張って回った。

私だけは何があっても彼の味方でいると、彼の事を何も知らないくせに、偉そうに彼女の様な顔をしていたのかもしれない。


彼とはもう長らく会っていない。

「寂しくなったら連絡するね」と言ったくせに一向に連絡を寄越さない彼に、私は本当は彼のかさぶたになりたかったのではなく、彼に私のかさぶたになって欲しかったのだと気付いた。

私にとって彼は代わりの利かないたったひとりの人間だったけれど、どうやら彼にとってはそうでもなかったらしい。

本当は彼の傷を癒すかさぶたとなり得る存在は沢山いて、反対に彼というかさぶたでしか癒されなかった私こそが、彼にくっついて回る犬だったのだ。

大好きな人のかさぶたになりたかった。

そう思う気持ちは、残念ながら傲慢過ぎる片想いで終わってしまった。

呆気なく終わってしまったけれど、私だけが一方的に運命だなんて感じてしまって馬鹿みたいだったけれど、これは紛れもなく私の最高で本物の初恋だったと言える。

彼に言われた言葉をぺたぺたと心の傷に貼り付けては、今日も私は生きていくのだ。

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