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夏草のひとりごと #9 悪魔の割合


自分という人間の多面的な部分や奥底は自分しか知り得ない。
時々、内も内な、内向的な思考の出力を強めると良くも悪くも果てがない可能性が怖くなって考えるのを止めてしまう。

良い一面の果てを探っている分にはあまり苦しくならないけれど、悪い一面を掘り下げるとゾワッとしてしまう。

トゲトゲしいというよりはあらゆる他のものにたいして冷えた目でしか見れなくなり、情が湧かない。
その割合が100パーセントになったとき、周囲から見たら悪魔のような所業を働く人間に見えるんだろうなと思う。

色々な人やモノと関わることが好きだ。
なのに嫌いになってしまう。

僕の世代なんかはそんな時期を思春期の病気と言ってみたり、中二病と笑い飛ばす。まあ、分かる。そうやって茶化せるくらいがいいと思ってた。

でもどうにも、裏側のそういう一面ってくだらないなぁと割り切れないんだよなー。

表には決して出さないし、こうして記事を書いてる今でさえ理性で俯瞰できるように立ち回っているように思える。

なんだかんだで人って救ったり救われたりするからやっていけてるんだろうけど、うまい巡り合わせなんかが来ない人はこの悪魔の割合のせめぎ合いをどうやって解消しているんだろう?

ニュースで見る犯罪者は本当にすべてが薄暗く身勝手な考えだけなのか。
犯した罪は事実だから擁護は出来ない。
でもほんの些細なバランスのほつれだったんじゃないかといつも思う。

誰かが手を差し伸べても受け取れない程だったのかな。

そんな人が昔、一人居た。
その人は悪いことはしてないし、何かに責められて、心に余裕が無かった。
事実、取り巻く環境はきっと良くなかった。
自分もその一部だったのかは分からない。

自分だってそういうことはあったからどうにかしてあげたいというか、一緒にいてあげたかった。
居れなかった。

そんなことがずっと心に残っていると、どっちのとかないのは分かっているけど何になれたらよかったのか考えてしまう。

こんな話は本棚の隅の隅にある際物の小説にいつか載せたい。

埃被るべきものであり、でも無くしたくないって感じの。



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