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出たがりの出不精

道草をせず、即帰宅する高校生だった。

高校までは電車を乗り継ぎ、片道約一時間。その所要時間が、即帰宅の理由だと思っていた。10月にもなると、すぐに暗くなる。早く家に帰りたかったんだろうと思っていたのだ。

でも、実はこれはわたしの性質が理由だったのかなと思っている。

わたしはHSPだ。(自己診断だけれど)そして、どちらかというと内向型。どちらも、この1年で知ったものだけれど、知ったときには「これ、わたしじゃん」と思った。

HSPも、内向型も、外側のエネルギーに対するキャパが小さいらしい。外部刺激に弱いから、すぐに疲れてしまう。

わたしは、見ようによってはアクティブだし、社交的なタイプでもある(と思う)。だから、人によってはエネルギーに満ち溢れている人間に思われることもあるのだけれど、実際には頻繁にへばっている。

用事が終わると、とりあえず自宅近くまで帰ってきてしまうことが多い。用もなく、人が多い場所をうろつけない。(郊外とか路地とか、人が少ない場所だと割といくらでも歩けるのに)

だから、都心部に出たときも、とんぼ返りしてきてしまう。「せっかく出たのだから」というときは、あらかじめ目的地の候補をあげている。

これは、人混みから受ける刺激から逃れようとしているのでは、と気づいた。目的があれば出かけられるのだけれど、それが終わると、一気に外部エネルギーが心身に届いて疲れてしまう。目的意識は、鎧の一種なのかな。

高校もたぶんそうだったんだろう。学校で特段トラブルがないときであっても、無意味に居残ることはなかった。帰宅して、部屋でひとりマンガを読んだり小説を書いたりぼんやりしているのが好きだった。むしろ、その時間がなければやっていけなかっただろうと思う。

大学も同様で、片道2時間半かけて行く大学に、講義が終わったあと長々とはいられなかった。大学がある京都から大阪に帰ってきて、ようやくどこかに立ち寄るような、そんな生活を送っていたなと思い返す。


自分では、こうした自分のスタイルをせっかちだと思ってきた。もっとだらだらのんびり過ごしたらいいのに即帰宅なんて、忙しないなあと。(そういえば、高2の頃、「若菜は学校が終わったら即いなくなるよな」と言われたことがあるのを、書いていて思い出した)

だけど、せっかちというより、刺激の少ない場所に移りたかったんだろうな。精力的に活動できるのは、いつだって自分の部屋にいるときだった。


昨日は久しぶりに東京駅に出向き、終わったあと即最寄駅まで舞い戻ってきた。ガヤガヤ聞こえる声と、縦横無尽に歩く人たち。

四方八方に放たれたエネルギーは暴力的なまでに強力で、思考がぼんやりした。麻痺させれば楽なのかもしれないけれど、それもできない。

ふわふわした心持ちで電車に乗り込み、静かに深呼吸をした。脳がぼやけていて、思考がまとまらない。

落ち着いたのは、最寄駅前にあるチェーン店のカフェに入ってからだ。カフェに漂うエネルギーは、あまり強くない。お客さんはそれなりに入っていたけれど、疲れが取れる気がした。


わたしが出たがりなのに出不精なのは、エネルギーを発する人が多い場所に出突っ張りだと、自分のエネルギーが吸い取られてしまうからなんだろうな。

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