変わらないことへの安心感
イベントで、きゃいきゃい楽しげに自撮りをしている女子グループを見ながら、「絶対にうちらにはできないやつだね」と小学生時代からの友人と話した。
「若さ……」と彼女は言ったけれど、「いや、そもそも昔からそんな要素なかったわ」と頷きあう。
もうひとりの友人は、息子が差し出した大量のたんぽぽを編もうとしながら、「子どもの頃、こういうこと、あんましやんかったな」という。「田舎もんやからかな」と続ける彼女に、「いや、田舎もんでも女子的な子はするやろ」と返すと、「嘘やん、うちらの中にそんな子おった?」と目を丸くされた。……うん、それはさ、同じ類の女がこうして仲良くしてきたからいなかっただけだよ。
木登りをしたり、フェンスの向こう側に残された雑木林的な土地に入り込んだり、そんなことばかりしている小学生だった。
きゃぴきゃぴしたノリを見ながら「若いなあ」と言いはするけれど、それを言ってしまうと、わたしたちの間には、若いノリがあったためしがない、ということになる。
年を重ねはしたけれど、わたしも彼女たちも、10歳頃から何ら変わらない。これが、何とも安心でき、心地いい。
人は変わるもので、人間関係は流動的だ。わたしは相手に対する感情が変化しにくく、よほどのことがないと、一度好きになった人を嫌い・無関心になれることはない。だから、相手が変わって離れていってしまうことがつらかったり、怖かったりする。
割と消滅していく関係性って多いのだなあと感じ、少々疲弊してもいた中で、彼女たちとの再会は、わたしを落ち着かせてくれた。
お互いに、本当に何も変わっていないわけではないのだろう。それでも、根っこの部分は変わらないし、互いへの感情が変わることもない(のだと思える)。自然に気を使えて、互いの立場の違いも汲み取れる、素敵な友人たちだと思う。
彼女たちの友人でいられることに、わたしはとても助けられている。ふだん、そんなことは口にしないけれど、連絡が多忙などで途絶えても疎遠にはならず、途絶えた連絡を不安にも思わず、何だかんだ縁が続く友人は、本当に貴重な存在だと思っている。
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