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多面体を転がしながら自由をつかむ

高三の二月、進路が決まった。

春からの生活への期待感と、受験生活が終わった開放感と、これまでの生活が終わりを告げるセンチメンタル感とがないまぜになっていた。

母は、ことあるごとに「これからが一番いいときだよ」と言った。「母さんも大学生のとき、周りに“今が一番いいときだよ”って言われて、そのときは意味がわからなかったけど、あとから思うと、学生時代は一番自由な時間だったからね。有意義な時間にしなさいよ」と。


実際にどうだったかというと、わたしにとって大学生活は人生で一番つらい時期になった。

これは別に大学が悪かったわけではなくて、それまでに蓄積されてきたものが溢れ出した結果、メンタルバランスが崩れたからだ。

半期の休学を経て、わたしは二年生の終わりに大学を中退している。


休学中や中退後、結婚するまでの期間は、確かに「自由」だった。フルタイムバイトをして、好きな創作をして、映画観賞や読書をし、彼氏と遊びに出かけていた。けれども、実家暮らしを厳命されていたこともあり、その自由には一定の枷がつけられていたことも事実だ。

この頃の「自由」は、家事や育児に追われることなく、自分のことだけやっていればよかったという意味での「自由」だった。

ただ、これは親の敷いた「常識」だとか「家庭内規範」だとかいうものの範囲内限定の話だ。これらを無視できるタイプの子どももいて、わたしの友人がまさにそのタイプなのだけれど、わたしは、どうしても打ち破れない。

いい年になった今でも、もし実家と距離が近ければ、きっと物事の判断に親の影響が多大に及ぶだろうと思っている。

無意識に「親の価値観」という鎖を自分に巻きつけてしまうから、「自由」を謳歌しきれていなかった。やることなすことに対し、親がどう言うか、どういう反応をされるかに、どこかでビクついていたというか。


翻って、今。

わたしは結婚して、ふたりの子どもの母親だ。実家は遠く、夫の仕事上ふだんはワンオペで回さねばならないため、ままならないことは多い。

だけど、わたしは今の方があの頃よりもずっと自由だと思っている。

今よりもあの頃の方が良かっただなんてことも、微塵も思わない。「楽しかったなあ」と振り返ることはあるけれど、「戻りたいなあ」とは思わない。

それは、どんな形であれ、わたしがわたしの意思で、さまざまなことを選べているからかもしれない。


大学を辞めることも、結婚することも、子どもを産みたいと思ったことも。

自分の小遣いがほしくて子連れでポスティングを始めたことも、幼稚園代がない!と夕刊配達を始めたことも、さらに弁当配達の掛け持ちをしたことも、今こうして文章を書く仕事を始めたことも、はじめた事情は別として、全部わたしが選んだことだ。


実家暮らしの頃のように、無意識に親の感情を忖度することはない。幸い(かどうかはさておき)、夫がどう思うだろうか、ということに対しては、わたしはなぜだかビクつかない。もちろん、報告はするけれど、許可を得なければと思ったことはないかもしれない。

(「出かけてきていい?」と子どもを預けるときに聞きはするけれど、ダメだといわれたらダメな理由をしつこく尋ねるので、結果的にダメなときは彼が仕事のときだけだ。逆に、事前報告さえしてくれれば、わたしにダメな理由がない限り、彼も自由にしたらいいと思っている)


「自由」という言葉は曖昧だ。

枠組みを与えられて、はじめてその中でのびのびできる自由さもあるし、枠組みを与えられることを不自由と捉える人もいる。

自分で選んだものについてくる不自由さはあまり不自由だと感じず、それを前提にした上で最大限自由を謳歌しようとする人もいる。(きっと今のわたしはこのタイプ)

人から指図を受けることを不自由だと捉える人もいるし、人から受けた指図があって、そこから自由に物事を行えるようになる人もいる。

タイムスケジュールが決まっている生活だと、自分で時間割を考えないで済むから自由だという人もいるし、逆に時間をすべて自分で決められる生活が自由だという人もいる。


たとえば、ある価値観において、母親は不自由だ。だけど、またある見方によっては、母親は自由だ。

たとえば、ある価値観において、雇用されることは不自由だ。だけど、見方を変えれば、雇用されることは自由だ。


要するに大切なことは、どうあることが「わたしにとっての自由」なのか、自分自身で見つけていくことだと思う。外野の意見に耳を傾けすぎたら、「自由を選んだはずなのにつらい」なんてことにもなってしまう。

今が「不自由だー」と思うなら、何に不自由さを感じているのかを見つけておきたい。その内容によっては、大きな方向転換をしなくても自由を得られるかもしれないし、自由に見える人をむやみやたらと羨ましがらなくても済むだろうから。

……まあ、育児中の母親には、「どうしても無理」という自由は一時的に発生しはするのだけれど、それでも、その枠内で掴める自由も、案外あるものだ。

「今はこれは無理だけど、ここまでなら何とか!」「子どもと一緒になら何とか!」と模索した結果が、今のわたしだ。

これからも、見方をときに変えながら、わたしにとっての自由を掴み取り続けたい。


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