あなたとわたしの“同じ”一日
昨日から一週間が始まった。また今週も怒涛のように過ぎるのだろうな、と思う。
昨日は、さっそく朝から長男を何度も起こすことから始まった。また一週間、こんな日が続くのだろう。
大人になり、主婦かつ母になってからというもの、「わあい、土日だー!」といった感覚はなくなった。いつでも休みだし、いつでも仕事。主婦や母とは、そういうものだと思う。
さらに、わたしの仕事には決まった休みがない。いつでも休めるし、いつまでも働ける、そんな仕事だ。
こうした理由から、「また月曜だあ……」という憂鬱さもない。ただただ飛ぶように過ぎていく時間を、必死に追いかけている、そんな感覚だ。
けれど、と思う。
息子たちにとって、きっと一週間はとてつもなく長い。特に、今春小学生になった長男にとって、月曜はもしかしたら「あー、また学校だあ」と感じる日になるのかもしれないし、金曜は「あー、今週も終わったあ!」と解放感でいっぱいになるのかもしれない。
幸い、長男は嫌がることなく学校に行っている。けれども、一週間は長くて、きっと彼はたくさんたくさん、がんばっているのだと思う。
大人にとっては、「またすぐ休みじゃん」と感じる一週間も、子どもにとっては長いということ。何か嫌なことがあるとき、一週間、一学期は、まるで永遠に続く地獄のように思えること。
そうした子どもの頃の時間の流れへの感覚を、もう体感はできなくても、わたしは忘れないでいたいと思う。
「あと一日行ったら休みじゃん」の“一日”は、大人にとっては“たった”一日でも、子どもにとっては、“長い”一日なのだろうから。
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