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実る穂を空と見る(7)

 ほなみが神崎と暮らし始めたハイツには、そこかしこに新婚の気配が添えられている。

 玄関を入ったすぐにある小さな靴箱の上には、ウェディング衣装のくまの夫婦の置物が置かれ、「Welcome」のプレートも置かれている。玄関からリビングへと続く廊下の壁にはパステルカラーで描かれたイラストのポストカードが額に入れられて三つ並んで画鋲で留められていた。リビングの壁には木のシルエットをかたどったウォールステッカーが貼られ、目を惹くポイントになっている。家中にちりばめられたそれらのすべてが、ほなみが思い描いていた幸せのかけらなのだろうと思う。


 ほなみが私の死について神崎に話したのは、彼との結婚の話が具体的に進み始めた頃だった。

「そろそろ結婚を考えようと思うんだ」

と、あまり男らしくもロマンティックでもないプロポーズを神崎はし、ほなみはそれに同意したあと、「でも、ちょっと不安なんだ」と切り出した。

 私が死んでおり、一家の家事を自分が担っているということは、すでに神崎は知らされていた。けれども彼は、私が自ら命を絶ったということは知らなかった。ほなみは何度も言葉を切りながら、

「お母さんはね、自殺したんだ」

と伝えた。

「そう。……何が不安?」

 神崎はほなみの隣に座り、問いかけた。

「わかんない。わかんないけど、いつか、お父さんとお母さんみたいな夫婦になっちゃわないかとか、わたしがお母さんみたいに病んじゃわないかとか、いろいろ、心のどこかで、ずっと不安なの」

「そっか」

 神崎は静かにそう言うと、「ほなはお母さんと似てるの?」と尋ねた。

「全然。たぶん、お母さんがそのまま生きてたら、きっと高校生くらいで相当衝突したんじゃないかって思う」

「うん」

「でも親子でしょ。これから、似てくるかもしれない」

「大丈夫だよ」

 神崎はほなみの背中に手の平を置いた。そうしてその手をゆっくり上下に動かすと、「ほなは、ほなだから、大丈夫だよ」と言った。

「それに、俺だってほなのお父さんじゃない。というか、会って見て思ったけど、たぶん全然違うタイプの男だよ。だから、きっと大丈夫」

 ほなみは笑った。

「確かに、お父さんとは全然似てない」

「だろ?」

 神崎も笑った。


*  *  *


 入籍する前日、二人は私の墓参りに来てくれた。静かに墓の前で手を合わせる二人に、感謝と祈りを捧げる。どうか幸せを築いて欲しい。墓の前で、私も二人に向き合い手を合わせる。

 神崎と寄り添い歩くほなみの表情は穏やかで、母なしでここまで育ってくれたことにあらためて感謝する。私の自死を恨み、私を憎み、そうしながらも家事を引き受け、拓実の母代わりにもなってくれたほなみを、誇りに思う。そして何度目かわからない謝罪を繰り返す。


*  *  *


 挙式の日がやって来た。
 穏やかな晴天で、例年より早くに開花した桜が、八分咲きまで進み、式場の近くにある桜並木はほんわりとした色彩に恵まれていた。

 式場に現れた晃と拓実はスーツを身に着け、そうして二人で並んでいると、昔はあんなに私に似ていると評判だった拓実が晃の若い頃にそっくりになっていることに気づき驚く。馬子にも衣裳だったスーツ姿も、様になってきたように思える。

 晃は老けた。あんなに多くて鬱陶しいと言っていた髪も、はげてはいないけれどもさすがに薄くなり、膨らんでいたヴォリュームは今の頭には見られない。白髪も増えた。この人にも苦労をさせた。ほなみは父の欠点を挙げ連ねて私の死の責任の一端を負わせていたけれど、彼はそのことを直接言われようとも決して弁解はしなかった。

 確かに彼に改善点がなかったとは言わないけれど、それでも私の死は私が招いたことだ。晃がひたすら責められなければいけなかったいわれはない。申し訳なかったと思う。晃はほなみを溺愛していて、二人は仲の良い父娘であったから、私の死をきっかけにして関係がこじれることになってしまったのは、私にはどうすることも出来なかったけれど辛いことだった。

 拓実は最近職場の同期の子と付き合い始めたようだ。どうやら姉妹の姉である子らしく、同い年だけれど、やはりどこか拓実が尻に敷かれているように見える。けれども、弟として育ってきた彼にとっては、それが良いバランスなのかもしれない。出来ればいつか、拓実にも家庭を持って欲しいと願っている。

 それまでの間、もう少し空からほなみと拓実を見守ることができれば、私は幸せだ。


 挙式が始まる。
 式場の扉の前で、ウェディングドレスに身を包んだほなみが、晃と並んで立つ。純白のAラインドレス姿のほなみは眩しく、七五三のときに写真館で着させたドレス姿をふいに思い出す。

「これがいい!」とほなみが主張したドレスは私の選んだものと食い違い、どう誘導しようとしても、頑としてほなみは自分の選んだ紫色のドレスを譲らなかった。「こっちの方がかっこいいんじゃない?」と言えばあっさりと私の思い通りの選択をしてくれた拓実と違い、「ああ、この子は本当に頑固だなあ」と嘆いたことが昨日のことのように目に浮かぶ。


 結局、自分で選んだドレスを身につけたほなみは満面の笑みで、ドレスもとてもよく似合っていた。あのときの笑顔もそれは愛らしいものだったけれど、今のほなみはこれまで経験してきた様々な感情を熟させたような笑みを浮かべていて、その美しさにはっとする。娘は大人の女性になったのだ。


 晃は緊張した面持ちで、ほなみの腕を取る。下唇をしつこく舐める癖は昔からのもので、私にプロポーズしてくれたときを思い起こさせる。緊張を隠すように、

「転ぶなよ」

とほなみに囁き、

「お父さんこそ。リハーサル通りやってよね」

と切り返される。

 ベルが鳴り響く。式場のスタッフが笑顔を向け、

「では、開きます」

と言う。無言でうなずいた父と娘の緊張した面持ちは瓜二つだ。

 ゆっくりと焦げ茶色のどっしりと分厚い木製の扉が開かれていく。真正面に掲げられているステンドグラスから差し込む光が式場に満ちている。

 光を全身に浴びて、花嫁は新郎の元へと歩む。

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