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「“きゃりあ”って何それ、おいしいの?」な女子中学生は、アラサーでワーキングマザーになった

「卯岡さんはさ、将来キャリアウーマンになるんやろなあ」

滑り止め用の私立高校受験の帰り道、受験したメンバーで駅まで連れ立って歩いている最中に、Sくんが言った。会話の流れは憶えていない。ただ、あまりにもわたしに不似合いなその言葉に、

「ええっ? ないない。あり得へん。いつも思ってるけど、うちのこと買いかぶりすぎやねんて」

と即座に反応した。

彼は、なぜだかいつもわたしのことを「頭がいい」「エリート街道を進みそう」「優等生」と評していた。生徒会本部に三期連続入るような中学生だったから、“生徒会”のイメージが作り上げた虚像だったのだろう。授業態度も真面目だったし、制服もいじらず身につけていたし。

ただ、それにしても「キャリア」や「エリート」は、わたしの真反対に位置している言葉だ。Sくんは初めて同じクラスになった中三で割とふざけ合える仲だったのだけれど、一体わたしの何を見ていたのか、と今でも思っている。

「えー、予想外に話しやすい人やってんなあ。もっとお高く止まってる人かと思ってたわ」と言われたことがあるから、実像に近いイメージを抱いてくれたのではと思っていたのだけれどな。

当時のわたしは漫画家になりたいなーと思っていた。その後、絵が壊滅的に上達しない上、現在フリーイラストレーターとして活動している妹の絵心に逃げ腰になり、自然と作家に夢が切り替わったのだけれど、キャリアなんて言葉は頭の片隅にすら存在していなかった。

仕事をするよりも結婚して子どもを産み育てたいなあという意識が強くて、仕事をバリバリして子育てもする、なんて選択肢は頭になかった。(家で仕事をしながら子どもを育てたい、とは中学生時代に日記に記しているけれど、それは漫画家や作家が家でする仕事だと認識していたからでもある)

むしろ、専業主婦大歓迎だった。母がしてくれてきたように、子どもにリソースをがっつり割きたい。夫が大黒柱で、わたしは家事育児をしながら、パートをして書き続けられたらいいな、と思っていた。

何の巡り合わせか、形は異なるけれど、今わたしは書くことを仕事にしている。仕事に割く時間や労力は、昔想定していたイメージと大きく異なり、がっつりだ。まあ、これは行きがかり上でもある。子どもと共に生活するには、ある程度お金が必要だから。

でも、「もっと仕事ができるようになりたいな」と考えていたのも、今につながる背景なのだと思う。

何のツテもコネもなくて、披露できる経歴もない。だからこそ、もらえるチャンスに飛びついてきた。力が足りずに迷惑をかけたこともたくさんあると思っている。何せ、経験値ゼロだったので。

「キャリア」や「ビジネス」と真逆にいたはずのわたしなのに、今、気がつけば企業に出向いて話を聞いて書いたり、イベントに参加してレポートを書いたりしている。

親、特に母親がびっくりしていて、それ以上にわたしが驚いている。あなたがびじねすって。あいてぃーって。てくのろじーって。(それ以外の業種の仕事もしているのだけれど、ゴリゴリの文系人間からすると、理系業種に関連する仕事をしているのが驚き桃の木山椒の木なのです)

結局のところ、わたしの興味の矛先はいつも人だ。人で、生き方で、だから働き方や仕事も含まれる。そう考えれば、今のわたしの仕事も、昔のわたしとちゃんとつながっているのだなあと思う。人生って、おもしろいものだね。

そもそも、世界は思っているよりももっともっと広い。中高生のわたしは、まだまだ世界の広さを知らなかったのだ。選択肢は意外なところに転がっている。今の仕事に出会えたのは、ラッキーだったんだなあ。

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