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“一応オトナ”のこどもの日
わたしは、一体いつからオトナになったのだろう。
そんなことを思う。いやいや、そもそも“オトナ”になれているのだろうか、とも。
曲がりなりにも子どもをふたり育てているわけで、それなりに年齢も重ねてきているわけで、さらに仕事もさせていただけているわけで。さすがにコドモではないだろう、と思いたい。
だけど、じゃあ、果たしてわたしはオトナなのだろうかと考えると、子どもの頃のわたしがイメージしていたオトナには、程遠いなあと思う。
コドモではない。ただ、抱いていたオトナではないにしろ、一応オトナ。……なら、いつからわたしは“一応オトナ”になれたのだろう。
ハタチ? 学生ではなくなったとき? 結婚してから?
どの答えも、いまいちしっくりこない。やっぱり、何か区切りを考えるなら、子どもを育て始めてから、なのかもしれない。
こういう区切り方をすると、子どもをもたない人から「産まない人はオトナになれないのか」といわれるのかもしれないけれど、そこは当たり前だけれど“その人による”といっておく。子どもを産み育てさえすれば自動的にオトナになれるわけではないし、育てている人の中にだって、コドモっぽい人はいるのだしね。
そもそも、オトナってどんな生き物なんだ、という疑問もある。年齢は勝手に更新されていくけれど、内面の成長は人それぞれペースが違うし、限度も違う。定義がむずかしい存在だよなあ。具体的に、誰かの言動に「ああ、とてもオトナだなあ」と感じるシチュエーションはあるのだけれど。
部屋を「泥棒にでも入られましたか?」という状況にして遊び続けている息子たちを遠い目で見ながら、つらつらと書き綴る。今日はこどもの日。柏餅が食べたいなあ。
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