切られた糸の理由
親しかった人に離れられたとき、わたしはいつだって原因を探してしまう。
「何かしてしまったのかな」「何をやらかしてしまったのかな」と考えたところで、答えは出ない。
そもそも、本当に意図的に離れていったのかすらわからないのだ。ただ、連絡を取り合わなくなっただけで。
これまでに、そうしたことが2度あった。そして、さらに最近になって1度。
なんとなく、以前のふたりは、きっとどうしようもないことだったのだろうなと思っている。ふたりとも、妊娠について悩んでいた人だったから。
何もわたしが特別なことを言ったり行ったりしなくても、前提としてわたしには子どもがふたりいる。ひとりはひとり目から妊活をしていると話してくれていたし、もうひとりはふたり目に苦労していると聞いていた。
わたし個人への嫌悪感がなくても、すでに子持ちの人間を見たくない気持ちは自然なものだ。
たわいない内容の連絡に返信がなかった頃から、わたしから連絡を入れなくなった。返信がなかったのが、たまたまであったのか、意図的なものであったのかはわからない。
けれども、わたしは自分が傷つくのが怖かった。相手を傷つけることも怖かったけれど、それだって、きっと誰かを傷つける自分になることが怖かったからなのだろうと思っている。
何かで揉めたわけでもないから、当時はひっそりと悩んでいたし、在りし日のことを思っては寂しさを感じてもいた。
今でも、「何かをしてしまったのかな」という思いは消え去っていない。考えたところでわからないから、ふだんは蓋をしているけれど。
ぷつん、と糸を切られるとき、それは決して相手が悪かったわけでも、自分が悪かったわけでもない。そうしたことは、きっとたくさんある。考え方や価値観は変わるし、その中で「あれ、違うな」と離れていくことは、珍しくないことなのだろう。
それでも、1度好きになった相手の糸を切れないわたしにとっては、厳しいことなのだけれど。
人間関係は流動的で、もしかしたらひょんなことでまた縁がつながるかもしれないし、自分の中の情がなくなるかもしれない。それはわからない。
だからこそ、今出会ってそばにいてくれる人たちとの時間を大切にしたいし、ずっと好きでいてくれる友達のことは、本当にありがたくて貴重な存在なのだと思う。
自分を守りたい臆病なわたしは、彼女たちに連絡を自ら取ることは、もうない。
でも、もし何かの折に向こうから連絡があれば、心から喜ぶだろうということも、わたしの本心だ。
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