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美しさは時に罪である

美しいものが嫌い。

そうした人は、あまりいないだろう。何をもって「美しい」と捉えるかは人それぞれだけれど、自分が美しいと思えるものを嫌う人は、少数派なのではないかと思っている。

むしろ、美しいものは好かれる。それが人であれ、出来事であれ、関係性であれ、美しく見えるものには、多くの賛辞が寄せられる。

ただ、安易に「美」を纏わせたものには注意が必要だなあと思っている。わかりやすい「美」に惑わされて、本質を見誤ることになりかねないからだ。

わかりやすい美しさが間違っているわけではない。届けるために、伝えるために、美しさを纏わせることは時に必要なことだろう。

しかし、中身をあえて見えなくするために外見を着飾ることは大いにありえることだし、美しかったがために本来大切にされたかったものが疎かにされてしまうことだってある。そのことを、伝える側としても、受け取る側としても頭に留めておきたいと思う。


美しさに惑わされてはいない?見るべきものを見つめられている?

美しさで煙に巻こうとしてはいない?伝えたいことを伝えられる言葉を選べている?



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