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我が家の鬼滅ブームと好きとお金と

世の多くの子育て家庭と同じく、我が家は現在「鬼滅の刃」ブーム真っ盛りだ。昨日は上映初日の映画を母子で観に行ってきた。映画帰りに食べた夕飯は、鬼滅コラボ中のくら寿司だ。ちなみに、今夜もくら寿司らしい。今月の寿司率の高さは異常だ。

映画館では「何かひとつにしておこうよ」の話が一転、結局ひとり4つずつグッズを選ぶという事態に。散々「今回は特別だからね」と言い含めて、レジに並んだ。お会計、1万円超え。……母、自分用にも漫画やアニメのグッズにそこまで課金したことないよ?


基本的に、わたしは子どもに何かを簡単に買い与えない。誕生日だけは「自分のほしいおもちゃ」「自分の食べたい店での外食権」が与えられるけれど、あとは「買って買って」に簡単に応じることはない。

ただ、体験には重きをおいてきた。何かを見たり、聴いたり、触れたり、食べたり。まあ、これはわたし自身が好きだからというのも大きいのだけれども。

映画館での大判振る舞いは、わたしにとっては「体験」だった。あのとき、母子三人で一緒に映画を観て、あんな気持ちになって、そしてこれを買ってもらったなあ、だなんて思い返してくれる日がくるのかどうかはわからないけれど、記憶は少なからずモノに宿ると思うのだ。


思い出すのは、セーラームーンだ。わたしが今の彼らくらいの頃、わたしはアニメのセーラームーンにハマりまくりで、映画館にも連れて行ってもらったし、カードダスも大量に集めていた。当時、家庭の事情で決して経済的にゆとりがあったわけではないなか、両親はできる範囲内で娘の「好き」「ハマった」を大切にしてくれたのだと思う。

映画のパンフレットやカードダスは、今も実家に大切に保管されている。何度か見返し、そのたびに「あー、本当にめちゃくちゃハマってたなあ」と思い出す。友達とダブったカードを交換したな、とか。お父さんは亜美ちゃんが好きだって言ってたな、とか(笑)。そんなことを、見るたびにふわっと思い出す。

何かを好きになれるのは、本当に素敵な体験だ。好きを何らかの形で手元に置いておけると、毎日ちょっぴりハッピーになれる、と思う。「好きだなあ」と思ったり、「あの日、楽しかったなあ」と思い返したり。その一つひとつが、毎日をがんばろうと思える活力になる。

あの頃、セーラームーン熱に一緒に盛り上がって楽しんでくれた親のように、今のわたしは子どもたちと鬼滅の刃についてあれやこれやと話している。子どもの心のどこかに、何らかの形で残ってくれたら、わたしは嬉しい。そして、わたしは「ほしいものはお金がなければ買えぬ。ほしいものを手に入れるためにも、仕事は大切なのである」を子どもに伝えながら働くのだ。

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