見出し画像

動く拡声器にはならない

わたしはお喋りだ。親からは「口から生まれた」と言われ続けてきた。生後半年くらいから、まだ言葉にならないお喋りを熱心に始め、一歳頃からはよく歌っていたらしい。

「若菜の体調不良はすぐわかる。明らかに話さなくなるから」と妹にまで言われていたし、今も実家に帰ると「ひとり増えただけで一気に賑やかになるわあ」と呆れ気味に言われる。


わたしのママ友に、自分からはあまり話さない人がいる。おとなしいわけではなく、根暗なわけでもない。会話で盛り上がることも多い。ただ、自分から話すよりも誰かの会話に乗るタイプの人だ。

ただ、少し前に気づいたのだけれど、この人は「誰か」の話をよくする。それも、共通の友人や知り合いの話を。

話す内容は、決して陰口など悪いものではない。「〜なんだってー」「へー、そうなんだあ」で済むようなものがほとんど。ただ、「それ、わたしに言っちゃっていいのかな?」と思う内容も多い。たとえ彼女に口止めしなかったとしても、誰かに勝手に話されるのは、わたしなら嫌だなあ……と感じるようなことだ。

それはたとえば、誰かが彼女に漏らしたパートナーへの軽い愚痴であったり、子どもがやらかした出来事への嘆きであったり。その人の仕事の悩みだったり、「こんなこと言われたんだあ」といった第三者の発言から受けたときに感じた複雑な気持ちであったり。直接聞いた人が第三者に言うのはどうなんだろう、と思う内容だ。少なくとも、わたしは躊躇する。


気づいたのは、わたしが彼女にしか言っていなかったことを、共通の友人から「〜なんだって?」と聞いたときのことだ。別に隠し立てしたい内容なわけではなかったけれど、それでも「え、なんで知ってるの?」という気持ちになった。そして、「下手なことは彼女には言えないな」と思った。知られて構わないことでも、自分の口から直接伝えるのと、他の人の口から知らぬ間に伝えられるのとでは、意味合いがまったく異なると思っているからだ。


「ここだけの話なんだけど」を連発する人にも、わたしは話題を選ぶ。その人の「ここだけ」がどこまでかわからないからだ。動く拡声器か否かがわかるまでは、いくらその人に好感を抱いていても、思っていることを伝えられないなあ、と思う。

とはいえ、あとから「うわ、この人拡声器タイプだったんだな……」と後悔することはゼロにはならないのだけれど。


「こんなことがあったんだ」で終わる話ならまだいい。けれども、そこにその人の感情が混じっているのなら、重大な秘密だと感じなくても誰かに勝手に言わない方がいいと思っている。どうしても言わずにいられない内容なら、絶対につながりようのない第三者にしておきたい。本人の耳に入ることがないようにしたいと思う。

もちろん、「秘密ね」と念押されたことは、絶対に言わない。「もしかして、この子も知ってるのかな?」と感じる共通の知り合いがいても、わたしからは言わない。

あとから「え、知ってたんだあ。言ってよー」と言われることもあるけれど、「え、勝手に言うのはあれかなと思って」と返すようにしている。同じような対応をしているママ友がいて、彼女には何かあったときに話せるな、と感じた。


口数の多さと口のかたさは、関係がないらしい。わたしは自他ともに認めるマシンガントーカーだけれど、誰かの心の内を勝手に明かすことはしない人間でいたい。


……なお、例外は褒め言葉だ。これは第三者から聞くと、より一層うれしくなるものなので。


#エッセイ #コラム #雑記 #わたしのこと #コミュニケーション #人間関係


お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。