まいど!の居心地。
uni家は相変わらずの大食い一家である。
元来の大食いぶりに加えて、JDドカ弁はお酒もグイグイいくようになったのだから、やれやれ時は流れたものだと思う。
noteのサービスが開始した2014年。
ドカ弁は中学3年生。
ショートカットにししゃも足。
コートで走り回るバスケ少女だったドカ弁。
あの頃の私は、おかずと飯をみっちり詰めたわっぱ弁当を作ることが毎朝の習慣だった。
やれ朝練だ、試合だと朝から晩まで親子でバタバタしていた。
次女のちゃっかりが中学生になってもそれは変わらず、姉とは違う道である音楽を選んだ彼女にも全く同じことを続けてきたように思う。
朝練、コンクール、そしてわっぱ弁当。
子育てが一番キツイと感じていたあの当時、ここに日常のあるあるや悩み、嬉しさや悲しみを書かせてもらってずいぶんと気持ちが楽になって、明日からも頑張るぞ!ってスイッチを押していただいた。
子どもたちは成長し、あの頃のような波風は経たず、日々増えていく白髪もまぁまぁいいさと呑気なおばあちゃんみたいな心持ちになっていたりで、最近は仕事も書道も自分だけのペースでやっていける時期になったと感じていた。
そんな矢先のコロナからの緊急事態宣言。
呑気なペースに胡座をかいていたらあっという間に世の中が一変したのだから、まさに一寸先はなんとやら。
夫スナフキンはテレワーク勤務になり、姉妹の学校も2月末からずっと休校である。
デカくなったのは態度だけでなく、身体もデカくなった子どもたち。
家の中に大人が4人みっちりいる状況ってこんな感じになるのかと呆然としてしまう。
ただし一つだけ近年にないことが復活したのはちょっと新鮮なのだ。それは?
家族でご飯を食べて、家族でテレビを観ることである。
つまらんつまらんとチャンネル争いをしてみたり、しかし誰かが勝ち取ったチャンネルを見始めると意外にも面白いことに気づかされ、全員でツッコミを入れながらゲラゲラ爆笑したり。
そう、自分の子ども時代が戻ってきたような気分なのである。
圧倒的に家族の会話が増えた。
iPhoneやゲーム、DVD観賞や漫画読み放題の生活を2か月近く続けた子どもたちは、「飽きてきた」らしい。
当たり前が当たり前でなくなる経験は、今の時代では少なくなっているのだろうが、今がその時期なのかもしれない。
当たり前に学校に行き、当たり前に会社に行くこと。
放課後、仕事帰り、休日には、ライブや映画、ショッピングの楽しみが待っていて。
気の合う友達と居酒屋で一杯やるのが楽しみな私みたいな人もいると思う。
そういう時間がかけがえのないものだと再認識する今日この頃であるが、馴染みの居酒屋さんが夜の営業を自粛し、お昼にお弁当販売を始めた。
これがまた美味しいのだ。
今ある緊迫した世の中が平時に戻った時、当たり前の場所が変わらずに存在し、迎えてくれることを願って、贔屓のお店のお弁当を買って食べることを続けていくつもりである。
自粛と応援はセット。
頑張る経営者から消費者の私へと届く美味しい幸せ。
「まいど!」の居心地を守っていきたいのである。
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