もう7つ目の記事になってしまいましたね。 原因不明の腫瘍が出現し腹腔鏡手術を終え無事予定通り退院出来ました。これを書いている退院から2ヶ月弱の現在は、社会復帰も果たし子供の習い事で身体を動かしたり普通の生活を送ることが出来ています。 退院から約2週間後、病理結果を聞きに行ってきました。結論から「良性」であると言われました。造形剤で光っていたものは腫瘍ではなく、「卵巣が癒着して空洞が出来ていたところに溜まっていた血液」ではないかとのことでした。腫瘍は実際には三つほどあり、そ
なんやらかんやらがあって、審査腹腔鏡手術をする為に入院。手術前にやることと言ったら、PCRと採血と下剤でお腹空っぽにするくらいのもんで。手術前日はゆっくりしてました。 手術当日。 午前中にやるはずだった手術が、昼過ぎに。朝から待ってくれていた夫には申し訳ないが、私は「このまんまなくなんねーかなー」とぼんやり思っていた。1日以上に渡る絶飲食に疲れてた。やっとこさ呼ばれて手術室へ結構な早さで看護師さんと歩いて行き、さっさと麻酔を入れられて目覚めたら回復室に居ました。 あんまり
⚠︎ここからは現在進行で話しています。 治療が終わって無事寛解を言い渡され、目標としていた子供の学校行事に行くことができて、社会復帰もして、順調に回復していました。 2024年の4月。 寛解から半年経つため、画像でも評価しようとCTを撮りました。すると主治医から「再発の兆候がありと出てしまいまして...…」と言われました。 約10万人に1人の病気になった時点でさまざまな覚悟は済ませて来ましたが、流石に「いい加減にしてくれる⁉️」と思いました。腫瘍マーカーは陰性でした。MR
メンタル 治療するにあたって私が一番嫌だったのが、治療を完遂できないことでした。そのために出来ることはなんでもやりたい、やらせてくださいと病院にお願いして、さまざまな対策をしてもらいました。その中でやってよかったと思ったのが、精神科の受診でした。私は意外と精神が不安定になったり激しく落ち込んだりすることがなかったのですが、入院中精神科の先生に来てお話を聞いてもらったり、薬を出してもらったりしました。 病に抗ったり怒ったり、もう嫌だと泣くことはやれと言われたらいつでも出来る
⚠︎治療法について、私は医学の知識は全くないため自分の見て聞いて経験したことしか話せません。私は自分で納得して標準治療である化学療法を選択しました。 化学療法 退院から2週間後、術後の経過や病理の結果、今後のことについて聞くための診察に行きました。 創部も経過も問題ありませんでした。 病理の結果はやはり胚細胞腫瘍の未熟奇形腫。そしてステージ1Aのgrade3と確定しました。 未熟奇形腫瘍にはgradeが1〜3まであり、grade1のステージ1Aは手術で腫瘍が取り切れた場
開腹手術 入院当日、病院へ行って手続きを済ませました。付き添いしてくれた夫は病棟の待合までしか入れず「ご家族の方はこちらまで」と言われたので「じゃあ行ってくる」「頑張ってね」と別れて、お互い見えなくなるまで手を振った記憶があります。看護師さんは「仲良しですね」と笑っていました。恥ずかしい。 入院当日〜手術前日までやることが多かった記憶。渡された予定表のタイトルに「卵巣がん根治術」と書いてあって「私って癌なんだ……」とそこではっきり自覚したような覚えがあります。 手術の説
インスタのストーリーで闘病記をあげてたけど、見てくれる人からしたら分かり辛いだろうなと思ってnoteにざっくりまとめます。 癌の治療や、それに伴う副作用は本当に人それぞれです。周囲の環境や生活ステージによっても頑張り方は変わってきます。私はただの患者で、医学の知識もないです。私の頑張り方をここに書いています。 私は日本で暮らす20代の癌患者です。子供が1人、夫と3人で暮らしています。闘病にあたっての母としての気持ち、暮らし方も混じえて話せたらと思います。どこかで頑張っている誰