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人生を多くの友人たちと豊かに生きる方法

僕は約20年前の学部生であったバックパッカー時代、「貧しさ」と「豊かさ」に出会った。

骨と皮だけになり、シンナーで意識が朦朧としながらでも必死に物乞いをする多くの子どもたち。当時の僕は、大きな衝撃を受けた。言葉が分からない中、笑顔で必死に話しかけ、少しでも理解しようとしている間に、心を開いてくれ、遊べるようになった。暫くすると大学生である自分は日本に帰り、旅費を貯めるためにアルバイト生活に明け暮れる。そしてまた旅に出て、別の国や地域で同じようなことを繰り返す。

自分は学生の身分でありながら、アルバイトをすれば、高額な航空券を買い、様々な経験ができる。でも「幼い友人たち」は、学校にも行けず、危険な場所で必死に働いてもその日食べるものさえない。日本で安全に暮らしているこの瞬間も、友人たちは、苦しんでいる。この現実は当時の自分を追い詰めていった。

大学での専攻は、イギリス文学であったが、そんな授業はほとんど出席せず、経済学や政治学、社会学、人類学、開発学の本を取り付かれたように読んだ。なぜ友人たちは、貧困に苦しまなければいけないのか、知りたかった。植民地政策の研究をしているとき、友人たちの現状は、決して彼ら・彼女らの責任の結果ではなく、歴史的に自分を含む「北」の社会との関係性において構造的に生みだされたことを知った。自分も友人たちを苦しめる問題の一部なのだと理解した。

その後もバックパッカー生活とアルバイト生活と狂ったように本を読む生活が続く。真実を知りたかった。学費を貯めて、留学し、英語も勉強した。大学卒業後も、友人たちが苦しむ貧困問題を解決したくて、資金を貯めるために1年働いたのち、フィリピンの大学院に進学する。国連職員やJICA専門家等になりたいのであれば、米国や英国等の大学院の方がいいのは知っていたが、自分は、そこで苦しんでいる人々とともに生活し、問題を解決したかった。スラムや農村での住み込みをしながら、地域の人々とともに地域を良くする方法を教えてくれるフィリピン大学大学院の地域開発学は、正に自分が求めていたものだった。

私たちは、身近な家族や友人が苦しんでいるときに、自分だけ幸せを感じることはできない。同じように、旅を通じていろんな国に多くの「友人」を作ると、遠く離れた場所にいても、(そして想像力により、まだ出会っていない世界中の「友人」に対してでも、)彼ら・彼女らが苦しんでいる限り、自分が心の底から幸せを感じることはできないことを理解する。それでも、どこかに小さな幸せを感じ、自己を肯定できる瞬間があるとすれば、それは、苦しむ「友人たち」とともに、自分が問題解決への一部になるとき、だと悟るのだ。

身近な家族や友人が幸せなときに、自分も嬉しいように、世界中の友人たちが、貧困や紛争、様々な暴力から解放され、幸せを謳歌できるようになったとき、自分も嬉しい。一人で幸せを見つけようとする人生より、世界中の友人が、何億倍もの幸せを与えてくれる人生の方がいい。

NGOスタッフになること、ボランティアをすること、寄付をすること。それらは、哀れみや虚栄心から来るものでは全くなく、人生を多くの友人たちと豊かに生きる方法なのだ。20歳の僕が旅から学ばせてもらったことが正しいか、ぜひ身近なNPOやNGOで試してほしいな。

PS:写真は、20歳の誕生日をカンボジアのアンコールワットで過ごしたときのもの。

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