自分という人間の事実と考察

物事をなんでも斜めに見てしまいます。

15歳までは何でもできました。私はいわゆる天才ではなく、全て努力で賄っていました。でも努力するのが当たり前で、習慣で、そんなにつらくなくて、そうじゃない自分なんて想像できませんでした。そうしない、できない人の気持ちや境遇が理解できませんでした。

16歳から全て変わりました。

いつでも、今でさえ、やればできると信じています。実際は以降やれた試しがありませんが。

自分の中では、昔のように、できると信じているんです。

16歳からの私は、何をしても長続きしません。3日続けばいいところです。このことが全ての自己嫌悪の根源のような気がします。

物事にすぐに満足します。悔しいという感情は長続きしません。

新しい物事が好きではありません。新しく公開された映画に興味がありません。たまに当たりがありますが、基本的には面倒だな、としか思いません。ワクワクだなんてしません。だから一度観た同じ映画を何度も見ます。

雨の日が好きです。なぜなら外にでなくていいから、新しいことに着手しなくてもいいよと言われているようで、周りのみんなも休憩しているような気がして、自分の怠けが保留されるような気がして、楽になります。

周りから良く思われたいので、外面はいいですが、内容は伴いません。周りからは行動力があると言われますが、周りに人がいるときに行動しているだけです。一人になると何もしません。カフェや図書館では勉強がはかどりますが、それは人に見られていることを意識し、勉強していると思われている自分に満足しているだけです。あわよくばその上っ面の勉強で「上手くいって」周りにに認められたいと思っているだけです。

学生でイベントや企画を考えている人、誰にでも「初めて」はあるのに、それを残念、痛いとすら思ってしまいます。自分ならもっとうまくやれるのに、とでも言うように。私もいろいろ試したことはありますが(なんといっても外面はいいので)、どれも長続きしません。後ろめたい。本当に最低だな、自分。

計画するのが得意です。やるべきことをリストアップして、どんな、なぜ、どうやって、達成の目安など、考えるのが好きです。でも計画通りの実行はできません。計画を考えただけで満足するのです。

最近ようやく、自分がやりたいかもしれないということを見つけました。
しかしそれさえ見つけた瞬間、私は「安心」したのです。まるでそこで仕事を終えたかのように。なんだか保険のように感じられました。後ろめたい。昔YUIの歌でこんなの歌詞がありました。

「夢中になれなきゃ嘘ね」

私は何にも夢中になれない。続かないから。自分を棚に上げて、新しいこと、なんでも頑張っている人を受け入れない。インスタで頑張っている友達が見えると、なんだか置いてけぼりにされているような気持ちになって、つらくなる。

つまり、

①物事が続かない/怠けに慣れた

→②何もしないために何の実力もつかないのに過去の栄光から自信や見栄だけは残っている

→③見栄を守るために外面を良くして行動しているように見せるが、実際は何もしていないため、周りを見て焦っていたり、自分のメンタルを守るために他人を見下したりしている

ずっと悪循環だ。

環境は変わるし、良いこと悪いこと日々あるけど、自分の根底に、常にこれらがある。常にどこか後ろめたい。そして、これが今の私の全て。

最近ずーっとモヤモヤしてて、文字におこしたら自分が典型的な寂しい人でびっくりした。

大学生にして新しいことに関心を示さないなんて、悲しい。
このまま60年、70年、こうやって生きていくの、嫌だ。

自分がこんな人間になってしまったのが悲しい。

こうやって文字におこして、また満足して。

受け入れたつもりでいるけど、きっとまた受け入れられてない。

継続は力なり。どこに置いてきた。

変わりたい。これ以上もう腐りたくない。


継続ができて実力がある

友達の成功を心から喜べる

常に新しいものに挑戦する


そんな自分になりたい

心からの本音

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