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「マイ・フェイバリット・ランチ」


今日は思い出深い料理の話をしてみます。

僕は工業高校のデザイン科を卒業して、株式会社ヤマトマネキンという会社に就職しました。
確か昭和62年、バブルの直前です。
ヤマトマネキンはマネキン会社としては最大手で、当時年商100億、全国の営業拠点に従業員400名以上。
ただし、すべてのマネキン会社はマネキンの売上は3%以下で、物販店などに陳列家具をレンタルリースすることと、店舗工事を請け負う俗に言うディスプレイ業界なのです。

右も左もわからない高卒の世間知らずは、今は失きダイエーの店舗工事の現場監理を担わされました。
まだ大規模出店法が改正される直前で、当時イオンは三重県出自のジャスコでしかなく、日本は郊外の大型複合施設が規制によって造れなかった時代です。
都心部に特化した総合スーパーのダイエーは時代を席巻していました。
中内功は流通界の革命児でカリスマ経営者として君臨し、ダイエーは名実共に小売業ナンバー1企業でした。

僕は仕事で自分が何をやっているのかもわからないありさまで、現場の度に失敗を繰り返しほとほと嫌気がさしていました。
一つだけ良かったのは、ナショナルチェーンの工事は行ったこともない様々な土地に出張でき、打ち合わせでは東京に行けることでした。

ダイエーは五反田と品川の巨大なテナントビルにオフィスを構え、五反田はGOC、品川はSOCと呼ばれていました。
各々の頭文字に、OCはオフィスセンターの略です。

ある時打ち合わせで、上司に同行して初めてSOCに行きました。
午前中の打ち合わせが終わると、上司がニヤリと笑って「ちょっと高いけど魚の美味い店に連れてってやる」と言われました。
品川駅の直ぐ近くのSOCから歩いて直ぐの店は、周りの景色から浮き立つような純日本家屋、料亭というにはもう少し庶民的な面持ちの店構えで、僕らは二階のお座敷に通されました。

店の名前すら覚えていないのですが、その日の昼定食は「銀だらの照り焼き」でした。
それまで僕は「銀だら」などという魚を食べたことすらありません。

汁と付け合わせがあったとは思うのですがそんなことすらどうでもよくて、人生初の「銀だら」に僕は腰を抜かしたのです。
この世にこんな旨いものが存在するのかと思いました。
35年前、あの日以来あれほど美味しい魚をいまだに食べたことはありません。

当時手取りで12万ほどの安月給に1800円のランチはあり得なかったのですが、それすら安いと感じたのでした。

銀だらは漁獲量が減り、今では高い魚になっています。
買い物に行っても出くわすことも少なく、あっても高いなと思ってなかなか買う気になれません。

今日、ちょっとだけ見切りで安くなった銀だらを見つけました。
それを買い、自信がないままに初めて自分で銀だらの照り焼きを作りました。

あの日の味に出会える訳もなく、それでも銀だらは脂が乗って美味しかったです。
思い出の味は、きっとこれからも記憶中で最高の味のままに続いていくのでしょう。

おいしくいただきました。
ごちそうさま。

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