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「トリプティック」 第30話


静が指定したのは、以前婚約者を紹介されたあのイタリアンだ。
そう、かつて家族で訪れていた店。

巴は、そうでしょうねと思った。
姉の鎖はきっと家族だったはずで、それを他人事のように思っていた私は馬鹿だった。
その鎖は今では朽ち果てているかに見えて、だって私たち家族はもうほとんど繋がってもいないのに、にもかかわらず知らぬうちに自縛していたのかもしれない。

ビリー・ジョエルの名曲に「イタリアンレストランで」というのがあった。
かつて恋人だった頃の行きつけの店で、その後結婚して別れて、若かりし頃を振り返る別れた二人の邂逅が洒脱な短編小説のような曲だったと記憶するが、あらかじめ断絶している姉妹にはそんなロマンは微塵もない。
それどころか、心の焦土がそこに待っているかもしれない。
だとしても、そこに何があるのか知りたいのだ。
私が知らなかった姉の想い、知ったところで何かが変わるとも思えないし、家族が一つになることも未来永劫あり得ないことも、そんなすべてに今までノーブレスできた物語に一つの区切りを付けたかった。

姉の黒髪は長く美しく、巴は昔から伝説のモデルの小夜子を連想していた。
一重のどこか冷たい瞳は、今で言うならリナ・サワヤマのようにも感じる。
どこか人を寄せ付けない佇まいは幼い頃から変わらない。
もし、もっと人好きするような面影や人見知りもなく屈託のない人柄を持ち合わせていたら、父は私ではなく姉を標的にしていたのかもしれない。
澁澤龍彦からマルキ・ド・サドを経由したディレッタント気取りの父のユートピアはインセストだ。
娘を飼育して理想の恋人として想いを果たす。
心を、肉を、貫く。
だがしかし、この現代社会において許されざる思想を具現化しようとしたこの人でなしは、最後まで想いを果たすことができなかった無様な弱虫でしかなかった。
父が意気地無しだったことが、私が逃げおおせた理由でしかないのだ。

もしかしたら、私は姉の人身御供であったかもしれないが、人間が逆なら姉が私の人身御供になっていたかもしれない。

これが全部妄想なら、私は大概の人格障害だろう。
その方が幸せだったのだろうか?

いや、たぶん、どちらに転んでも幸せには程遠い。
私も、お姉ちゃんも…

店のドアを開けると、真っ直ぐ突き当たりの席に静は座っていた。
今まで見たこともない深紅のドレープのワンピースに巴は息を飲む。

「久しぶりね。

いらっしゃい」

静は、いつか見た嘲笑のような笑みを唇に浮かべて巴を呼んだ。

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