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「Lady, steady go !」 第22話


自分の近しい身内にミステリーじみた秘密があるということに美環は心が揺れた。

インスタグラムのアカウントを引き継いで欲しいと言った伯母の早苗は、やはり何かを遺したい、見つけて欲しいと願ったのではないか?
かつての「バーバー一ノ瀬」、母と伯母の生家にして晩年一ノ瀬早苗が独りで世を忍ぶように暮らした実家に、インスタグラムに上げていた料理のレシピの手書きのノートと、「百人町に溶ける」と題された自伝のような創作の原稿を揃えて置いていったのも、自分の生の痕跡を母や私に遺したかったからではないのか?

帰りの車の中で、美環は早苗のことをほとんど何も知らなかったのだと思い知らされた。
伯母のレシピで料理を作ることで、故人に報いて寄り添う気持ちになっていたが、きっとそんなことではないのだ。

一体、これは何なのだろう?

家に付くと買ってきた豚バラ肉のブロックを下味を付けて焼き、早苗のレシピ通りにたれを作るとぶつ切りにした葱と一緒に煮込んで焼豚を作る。

弱火で1時間ほど加熱すれば出汁は飛び程よく煮豚ができる。
その間に、手がかりを探しに早苗のインスタグラムを過去に遡って読んでいく。

なぜ宗教法人を買収して実家の権利を手放したのか?
相続税の回避だけが理由とは思えなかったが、それだけかも知れないし、だとしたら一ノ瀬早苗という人物は一体何者だったのだろう?
何を望み、何をしたかったのか。

インスタグラムには、簡潔でやさしい言葉で綴った日々の食卓に寄せる気持ち以外何もなかった。
それは美環が知る伯母の姿そのものだったけど、それが本当の姿なのかどうかもうわからない。

ガスを切り、そのまま夕方までねかして味を浸みるのを待つ間、ずっと読まずにいた「百人町に溶ける」を机の上に広げた。

おそらくここには、美環の知らない早苗が存在するという根拠のない直感がある。
自分の人生初めて、自分の親族が書いた物語を読む機会に向き合う気持ちは、今でもできれば避けたい。
知らなくていいことを知ってしまうのではないかという不安、知らない方がよかったと後悔する怖れ、親族のプライベートな文章を読む気恥ずかしい思い…
面倒なものを見つけてしまったと思ったことへの申し訳なさ。
遺書なのか生への執着なのか、単なる自己満足の範疇なのか。
何一つポジティブなイメージが湧かないのは、今まで勝手にイメージしていた伯母の姿がもう信じれなくなっているからだ。

そう、こっちが勝手にそう思い込んでいただけなのだ。

一ノ瀬早苗は、その人生において何も語らなかったに等しい。
私たち家族は、目に映るその姿だけを頼りにイメージという幻想で肉付けして納得したつもりでいただけなのだ。

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