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「PUNKS DEAD」


数日前になぜか思い出した高校の同級生のことを書いてみます。

僕は県立高校のデザイン科に就学していたのですが、デザイン科は学年に1クラス40人の定員でした。
厳しい倍率を乗り越え入学すると、40人プラス1人であることを知ります。
留年生がいたのです。

デザイン科は実習が大変厳しく、課題の提出が果たせないと単位が取れません。
後に、留年した彼からそれが理由みたいな話を聞いた気がします。

その彼、ここでは仮に良介と呼びましょうか。
彼はなかなか尖っていて、パンク野郎でした。

僕は帰りのバスが同じ路線でしたので、同乗した際に一緒に帰ることが度々ありました。
同級生の一グループはいろいろな意味でかなりぶっ飛んだやつがつるんでいて、凡人の僕は苦手でした。
そのグループに良介もいて、僕はとても友人にはなれませんでした。

つまんない僕なのに帰りが一緒だからなのか、彼はよく僕を買い物に付き合わせました。
当時日本最凶のパンクバンドだった「スターリン」のファンだった彼は、ラストライブのアルバムや解散後に出した限定写真集を予約して、取りに行く時付き合わされたことをはっきり覚えています。
だって、僕はパンクじゃなかったから(苦笑)

彼は精神性より外形のクールさや面白さを求めていたところがあったのですが、時折覚めるような一面を見せたりしました。

高校生でありながら、プライベートでは飲酒や喫煙もありました。
尖ったグループの級友の家、もちろん良介のところもですが、みんなで集まって飲んだりしました。
そんな時に良介が、離婚して家を出た父親のことを話したことがあります。

「中学1年の時だわ。その日オヤジが出て行ってしまうことがわかっている朝、"良介、こっちへこい"って呼ばれて、"ひげの剃り方を教えてやる"って言われて洗面の前で剃刀の使い方を教えてくれた。
それがオヤジとの最後だった」

留年、シンママと二人暮らし、パンク、どれもが平凡な自分とは縁のない世界。
その世界での親子の別れのクールさに、僕は強く牽かれました。

僕は本当につまんない男だったのに、そんな尖ったグループにちょこちょこ呼ばれていました。
それが今でも本当に不思議なのです。

卒業式の前日の夜、僕はグループの数人と栄の木曽路にいました。
みんなDCスーツをキめ、卒業祝いに一杯やりながらしゃぶしゃぶを食べました。
卒業前の最後に内輪の仲間に呼んでもらえた感謝もあり、はっきりとは覚えていないのですが、僕はつまんない自分への劣等感をみんなの前で口にしました。

その時良介が強く断言したのです。

「岡田はいいんだよ!
お前には自分の世界がある。自分だけの世界を持っている。だからお前はいいんだ」

僕は言葉にならないぐらい驚きました。
良介は僕をそんな風に見てくれていたんだ。
嬉しいというか、全く想像してなかったことへの驚きは、いまだにこの胸中にあります。

6年前、学校の統合により母校の廃校が決まり、OBによる最後の見学会が開催されました。
見学会のあと、デザイン科の一つ上の先輩とお茶をしました。
彼は留年した良介と本来は同級生でした。

その時僕は卒業の際の良介とのエピソードを話しました。
すると先輩は眉をしかめて、良介は亡くなったようだと教えてくれました。
理由は知らないと言っていたものの、少し含みがある感じでした。

会いたかったな。
あの時良介が言った「お前には自分の世界がある」と言ったあの言葉、彼にはどんな世界が見えたのか聞きたかった。

あいつはパンクで、僕もたぶんパンクだったんだ。
わからないけどね

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