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「たわけども、夜を駆けろ」

先日、ちょっと自分の行きし年月を語る機会があって、以前作った資料を更新していたのですが、自分が勤めをやめてから27年、ちょうど人生の半分を個人事業や法人の代表など事業に費やしてきたことに気付きました。
そしてその27年間、自分がずっと経済的不安と共に生きてきたことを知るのです。

27の時に建築内装業の会社を辞め(というよりケンカしてクビ)、フリーランスで3年、その後債務超過にも程がある実家の塗装業を継ぎ14年。
先代の可処分資産を売却してもらい法人を休眠にして、マイナスからの個人事業としてリスタートして10年。
常に借入金というイカれた恋人と同棲しているような生き様に、もちろんできることなら逃げ出したい訳ですが、事業(恋人)と共に生きる選択をしてるのは自分自身なのだから土台無理な願望です。

確かに自分の事業が悪い時もありますが、どちらかといえばほとんどが家族親族のあれやこれやであり、しかし家族に恨みはなく、だからと言ってどうしてこうも自分に降りかかるものなのかと、理解の向こう側に遠い目になる時も無くもありません。

僕は綺麗事がキライなので、努力したら報われるなんて絵空事を微塵も信じません。
しかし同時に、努力せずに報われる可能性など皆無だと思っているので、常に必死に生きています。
これを俗に「悪あがき」って呼びます。
チャップリンが言ったように「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」なんですね。

確かに辛くないといえばウソになりますが、自分の人生は幸せだと断言できます。
ユーミンが「お金が全てじゃないって言えるのはお金持ちだけ」と言ったという都市伝説の真偽はさておき、それにならえば「お金がなくても幸せだと言えるのは貧乏人だけ」なのかな?
知らんけど。

そんな内田百間みたいな(物は言いよう)どん詰まりが日常みたいな境遇がどうして幸せかといえば、後悔がない生き方を選択してきたからです。
間違いや失敗も含め、自分の半生に後悔はほとんどありません。
間違いや失敗は結果でしかなく、決断は常にその時の自分のベストから出した答えです。
後付けで「あの時こうしとけば」と悔いるのは時間の無駄でしかなく、その時の自分のベストなら仕方ないと割り切れる。
ベストを出してなかったら、それこそが後悔であり不幸だと思うんですけどね。
だから、大企業の不正や公務員の不祥事など、組織個人問わず残念なことが起こるんじゃないかな?

そんなろくでもない半生を語る数日前、友人と飲んでいたら「自分の同級生や同じ立場の人間が自分より成功してたら羨ましいか」みたいな話が出ました。
格好つける訳じゃ無いけど、自分は人を羨むことも嫉妬することも全くないんですね。
憧れはしますけど。ペンキ屋で自分にはない技術を持ってる人にとか。
それぐらいかな。
そして憧れてると、いつの間にか自分もできてる、みたいなことは度々あったりします。

借金があって良かった。
心から思う。
「バカじゃないの?」と言われそうだけど、だって、自分なんかくそたわけだから、お金なんか持ってたらろくでもない人間にしかならなかったって心底思う。
「豊かな愚者より持たざる良心」ってとこか。
この駄文のタイトルと同じで、まあ下らないことよ(苦笑)

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