6月のある平日
その日は平日で、本来なら仕事をしている日だった。
その日も通常通り勤務すると、月初のある1日に2日分の時間拘束されてしまったこともあって、休祝日のない6月がゆえに1ヶ月の間に申請なく働くことが出来る時間を超過することが明白であった。
また、さばいてしまわないといけない私的用件もあったことから、その日を休みに。
当日、朝一番に用向きをすませ、「平日なら多少は人も少なかろう」と、思い立って妻と倉敷向かう。
家を出て概ね2時間半、目的地駐車場に着。
存外近いが、半月板にダメージのある膝を抱えての運転はやはり堪える。
倉敷には、おおよそ30年前に祖父に連れられて行ったことがある。
覚えているのは大原美術館の各館を巡ったこと。
そこで見たジョージ・シーガルの彫刻に打ちのめされたこと、どうしても見たかったキリコのヘクトールとアンドロマケーの別れを見て泣きそうになったこと、フォンタナの空間概念をひたすら色んな角度から見たこと。
そして、中村彝の絵には値段がつかぬと大声で語る世間知らずでは通らない年齢のギラついたオヤジ。
今にして思えば、いかにもバブルの頃だな、と。
そのようなことを考えつつ、不目的的に美観地区にむかう。
梅雨の合間。影ができない程度の晴れ。風があるので暑すぎずとは言いつつ、せっかくなので酒屋でラムネを買い、飲み歩き。
ある程度めぼしいところを回って、さて、飯でも食うかとなり妻の希望で常衛門食堂へ。
近隣の店でもらった散策マップやスマホを見ても店の入口がわからず、迷う。もはや隠れ家的というより隠れ家そのもの。
迷いつつもどうにか到着。昼には少し遅い時間だったが、幸運なことに品切れ間近で滑り込めたらしく、2階に上がって定食をいただくなど。
食後、今一度ぐるりと路地を巡りって後、大原美術館敷地内を経由してゆっくりと時間をかけて駐車場まで戻る。
半月板の限界が近いこともあって、休み休み。
美術館の裏の土産物屋で休憩。ついでに少し買い物。
偽物のメロンとクリーム感のないクリームが汗をかいた身にはありがたい。
狭いエリアを一周し、帰路。
昨年仕事を変わってより、「出かける」ことが少なからず増えた。
心身ともにいくらかの余裕があることはやはり大事。
とはいえ、写真は相変わらず拙いし、恐ろしく人が写ってないことには変わりはないものの。
そのあたりは今少し余裕が出れば変わるのだろう。多分。
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