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smc PENTAX-DA FISH-EYE 10-17mm F3.5-4.5 ED[IF]

K-3Ⅲを入手してから、あれこれ時間を作ろうと思いつつも未だ満足にできておらず。私は単に機械いじりが好きなだけで写真を撮ることについてはいまいちなのかも?と自問しつつ。

ともあれ、時間を取れていない都合から、例によってK-xやらK-70の頃の写真など。

鼻のでかい仔犬の写真が流行った

00年代の前半だったか、極端に鼻が大きく写った色々な種類の仔犬の写真が流行った。
たしか猫のもあったかと思うが、そちらは今ひとつ振るわなかった様子。おそらくは、種類に関わらず仔猫はサイズが似たりよったりであることや、種によって色柄こそ違えど犬ほどの差もなく、また、仔猫といえどシャープな顔つきであることから、魚眼レンズによる歪みをもって「かわいい」と思わせきれなかったことが原因でしょう。
あと、そもそもどんな仔猫でも可愛いことに間違いはないが、一番可愛いのはいつだって「うちのこ」だということを見落としていたのだと思う。

とはいえ、こいつの写りのブサイクさよ。

たしか買ったのは13年前

2010年頃、MZ-5Nの頃に使っていたTAMRONの17−35をK-xにしばらくつけて使ってみたものの、なんとも言えぬ違和感しかなく今ひとつ撮ることが楽しめず。
また、その数年前より、10台前半ぐらいの焦点距離の広角を持っている知人数名に幾度となく自慢されたことなどがずっと引っかかっていて、それさえ持ってれば別に撮れるし……と、酸っぱい葡萄を決め込んでいた経緯などもあり。

当時は本町のあたりで口に糊していたので、帰路には必ず地下鉄路線で西梅田まで。そこから西梅田ー梅田ー大阪ー阪急梅田と、阪神地区に住む人にしかわからない概念としての「梅田」の西半分を横切って家路につくことになるわけだが、「梅田ー大阪」が曲者で、ヨドバシカメラの陽気でいて耳につくあの曲が聞こえないように通らなくてはならない。

広角にすべきか、魚眼にすべきか

フィルムの頃に、当時としては結構な広角だと思われるTAMRONの17−35を使っており、何かとちょっと心配な通販カタログの製作時などに、職業カメラマンから「そんなカメラとレンズで写真がとれるものか」と嘲られることなどあり。すべての撮影が終わって、実制作時には自分が撮ったポジを使うなどしてささやかながらも溜飲を下げることなどもあったなと、思い出すことなどありつつ、店頭に並ぶ「短い」レンズを物色。
やはり広角・超広角と呼ばれるレンズは高価で、サードパーティのレンズなら?と思って他を見るも、そもそもマウントからして対応していなかったり。
広角を自慢され羨むと言うより確実に嫉妬に近い感情を抱いたことを思い返すも、財布事情には勝てず。
「犬のアレがウケるなら、宅の猫で撮るもまたよし。どのみち画角が広いので広角の代わりになるやもしれぬ」と、smc PENTAX-DA FISH-EYE 10-17mm F3.5-4.5 ED[IF]、購入。
宅の猫で撮った結果は、先の写真で推して知るべし。

どうしても暗くなってからの撮影が多い

用事があって梅田に出ても、文字通り3分で用事だけ済ませてはすぐに駅に向かうというような類の出不精であることや、そもそも「ぶらぶらする」ということが苦手。
加えて「他人の居るところでカメラを構える事」への抵抗感が拭えず、どうしてもカメラを持って出るのが「相当な決心をした上で」夕方から夜にかけての時間帯になりがち。
レンズを買った当初は嬉しくて仕方ないものだから意味もなくカメラごと鞄に放り込んで出勤したりしていたものの、出すことすらしないということも多々あった次第。

仕事終わってわざわざ遠回りして駅に向かう歩道橋から
レンズ買って数日、当時竣工してすぐの某ビル
まだピカピカの某ビルから中央線と四つ橋線が交差する改札へ向かう通路
最寄り駅にて
階段降りた鈍角の角も鋭角に

嬉しがって色々撮るも

前玉に対象がぶつかるぐらいに寄れる上に、相当に大胆な歪曲が楽しくて色々撮ってはみたものの、レンズを買うまでの当初にあった焦燥感や飢餓感の源泉であるところの「広角」の替わりにとして使いこなせたかというと、そうでもなく。

若山町交差点

開けた場所、明るい場所で使わねば、と思いつつ、いつも使う場所は夜、閉じた場所になりがち。
いくら巧みな写真が撮れないとはいえど、自分にとって手慣れた構図、手慣れた手法に陥っているのは間違いなく。
写真に「道」を求める気は皆目ないとはいえど、「この値段出して買ってそれかよ」の思いが募る。

30階建てだったかの某所にあるマンション内部吹き抜け

客先での仕事終わり、夕方

そこそこ面倒なシステムに絡む仕事などあり、客先での長い打ち合わせを終え、エレベータを待つ間ふと見た窓の外が気になり、レンズを向ける。
ある意味、奇跡的に「まだ日が出てる」時間帯。

シャッタを切った後、プレビュを見ておそらくはこういうのが撮りたかったのだ、と。何がと言われると言語化できなくて困るのだが、いくつかいる憑き物のひとつが取れた気がした1枚。
もっとも、これが「巧みな」「いい」「評価される」写真であるか否かは議論の余地しかないのは否めず。

なんとなく、特捜最前線っぽいよね。

ようやく撮れたと思ったものの

その1枚の概ね1ヶ月後。
午後の眠気と争う時間帯。
巨大な地震起こったことを、遠く離れた大阪に居ながら、事務所の揺れで知る。
後に、地震に端を発する様々な悲劇が報道され始め、人災ともとれる出来事が連続。現地を救うことができない自分をうまく消化できないなか、計画停電に伴う情報発信の途絶を食い止める業務のごく一部を受け持つなどしつつも、阪神の震災時にもその場に縁があるにもかかわらず居合わせなかった自分は、このsuivivor's guiltに似たこの感情を抱くのは2回めだな、と。

現在にあってなお。
その日を忘れたい人も、忘れられない人も。
そして、忘れてほしくないであろう人も。
そのいずれの人すべてにおいて。出来得る限り穏やかならんことを心から祈るばかり。

震災後、外に出るのがためらわれた

周りを見渡せば、比較的被害のなかった地域にあってなお、色々な意味で目に見えない恐怖や不安、外出を控えるような広報などもあったりと、閉塞感で徐々に押しつぶされそうになる日々。

そこから数ヶ月。
情報発信の途絶を食い止める業務等々で削られてしまい、家人には傍目に見てあまりにもな状態に見えたらしく、引きづられるようにして万博公園に。

自分は何も失っておらず、何の不自由もしておらず、一体何に押しつぶされているのか、と。
自分には差し伸べる手と、その手を離さず踏ん張る両足があるのではないか、と。

日暮れ時、太陽の塔の超然とした姿を見上げて涙するなど。

星新一の「ひとつの装置」を思い出した

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