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パーソンズ美術大学留学記シーズン4 Week15&16 #299

今回は先週分(Week15)と今週分(Week16)の合併号でお送りします。

今週は卒業制作の発表会があり、私も無事に発表を終えました。英語で15分間もプレゼンをするというのは初めてでしたが、適度に笑いを取れたし「ストーリーが簡潔でわかりやすかった」と複数人から言われたので、個人的には納得のいく発表になりました。なお、卒業制作の内容は以下の記事にまとめています。

メンタルヘルスケア月間

この二週間は特にプレッシャーのかかる日々でした。色々と思い悩む人もいて、涙を流す姿を見た人も何人かいます。私も鬱々とした気分で過ごすことが多い日々でしたが、なんとか乗り越えることができました。

かつて(自分なりに)頑張りすぎてうつ状態になった経験から、「これ以上は危ない」という感覚が備わったような気がします。おかげでリタイアすることなく、最後まで走り切ることができました。個人的にメンタルヘルスケアのために意識していることをメモがてら書いておくことにします。

・自分の心理傾向を把握しておく
私の場合、発表や試験などが近くなってプレッシャーが増してくる時期に幸福度が下がる傾向があります。精神的に不安定な時にその理由を特定できれば、「こういう時期だから仕方ないか」と思えます。

・完璧を目指さない
自分の掲げた理想と現状の進捗とのギャップや「~しなければならない」という思い込みがプレッシャーとなります。一番の敵は完璧主義です。

・優先順位をつける
すべてのことを完璧にできないことを認めたら、次は「何が重要か?」と問い、優先順位が高いものを決めます。私はシングルタスク好きなので、重要なものを一つだけに絞るようにしています。

・合格ラインを満たせば十分
優先順位は低いけれどやらなければならないタスクもあります。それらは「終わった」ことになる最低ラインまでやれば合格とします。もう一度、完璧主義は捨て去ることが大切です。

・自分の好きなことを選んでいく
とはいえ、人生において「本当に」しなければならないことは存在しないと思っていいでしょう。どうしてもやりたくないならばやらなくても結構。誰も気にしません。自分がやっていて充実感のあるもの&やり終わって達成感のあるものをすればいいのです。


時期的に気が滅入りやすい状況を迎えることはあります。そんな時、私はこの言葉を唱えるようにしています。

これもまた過ぎ去るだろう

スーフィーの物語より

仏教用語で言えば「諸行無常」です。今の苦しい状況もずっと続くわけではないと思えば、少し楽になる気がします。「卒業制作に取り組むのがしんどくても、あと数週間で終わりを迎える。ならば、このしんどさも受け入れていこう」と日々を送っていました。


Transdisciplinary Designらしい発表とは?

同級生たちによる20を超える卒業制作を見てきた中で、私なりに見つけた共通点を書いておきます。

・Emergence(創発)に委ねる
事前に結果を想定してプロジェクトを進めていくのではなく、「やってみないと分からない」精神でプロトタイプを繰り返す方法を見かけました。こうして得られた予期せぬ結果をemergeとかemergenceという言葉で表していました。

・問題解決は一筋縄ではいかない
もちろん、問題解決型のデザインもあります。こうしたタイプの卒業制作は、実際のコミュニティに飛び込んでいくため、コミュニティ内での利害関係(パワー・ダイナミクス)の調整が大変そうな印象がありました。また、プロトタイピングでは短期的な成果の検証はできますが、何十年単位の影響までは評価できません。プロトタイピングが目先の利益に飛びつきたくなるインセンティブがある恐れを感じました。

・個人の思い入れから始める
「デザインは社会課題を解決する」という特徴はあれど、「自分が個人的に好きだから」以上にプロジェクトが続いていく理由はないのかもしれません。好きだからやっている人が情熱を持って語ることほど聞いていて楽しいものはないとも感じました。

・当事者の声の説得力
自分の主張の証拠を提示する時に定量的なデータで証明するという方法がある一方で、定性的なデータとしてインタビューで集めた当事者の声をそのまま伝える方法もあります。インタビューの映像や音声をそのまま流すというのはストーリーテリングの手法として効果的だと感じました。

・見えないものを可視化する
デザインには様々な側面がありますが、その一つに「見えないものを見える状態にする」という特徴があります。アイデアや概念という人の頭の中にしかないものをどうすれば他人に共有できるのか? デザインはそのためのコミュニケーションツールとして機能するようです。


『理想主義者の海賊船』

「Transdisciplinary Designのとある先生がTransdisciplinary Designのことを『理想主義者の海賊船』と呼んだ」という話を同級生から聞きました。授業の中でお金・ビジネス的な話をしないから理想主義者、そしてそれぞれの興味の赴くままにデザインする人たちが集まる学部ということで海賊船と名付けたのでしょう。言い得て妙なキャッチコピーだと思います。この真意が称賛なのか、それとも揶揄なのかは知りませんが。

もしもこれが揶揄だったのだとしても、理想主義であることとナイーブ(世間知らず)であることは違うはず。現実を見ずに夢を語ることをナイーブとするのならば、現実と夢のギャップを目の当たりにしてもなお、夢の実現を諦めないことが理想主義だと思うからです。

そもそもデザインは理想主義的。なぜなら、プラトンの「真・善・美」をすべて含んでいるからです。リサーチを通して世界を知る(真)、ユーザーのためとは何かを考える(善)、見た目も整える(美)。デザインをすることは真善美という理想を追い求めることなのだから、「デザイナーが理想主義者で何が悪い」と開き直ればいいと思います。

「世の中ってこういうもんだから仕方ないよね」と諦めるのではなく、「少しでも良くしてやる、少なくとも自分の望む世界を実現してやる」という気概(意地?)を見せる。まだ見ぬ宝島があるかもしれないのなら、航海を続ける。それこそが、Transdisciplinary Designの学生のあり方なのかもしれません。


まとめ

16週間におよぶ春学期の授業がすべて終了しました。後は振り返り雑談会と卒業式を残すのみ。二年間のパーソンズ美術大学での留学生活も終わりを迎えようとしています。

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