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パーソンズ美術大学留学記シーズン3 Week3 #236

9月も中旬に入って家では冷房をつけなくても過ごせるようになり、秋が近づいているのを感じます。相変わらず学校は冷房がフルパワーで作動していて寒いので、羽織ものが必需品というTipsを後に入学する人のために書いておきます。

Superstudio

Transdisciplinary Design秋学期のメインとも言える授業が今週から始まりました。一年生と二年生が一緒に受ける唯一の授業でもあります。この授業でどんなことを教わるのかというと、私にもまだわかりません。どうやら去年のフォーマットから大幅アップデートがなされるそうなのですが、「いずれ分かる」ということで詳細は不明です。

さて、初回はTransdisciplinary Designの考え方をあらためて教わりました。従来のデザイン(デザイン思考)では問題を見つけてその解決策を提示しますが、Transdisciplinary Designでは必ずしも解決策を志向しません。デザインを他者を知るための方法・道具とみなし、デザインによって他者をより深く理解していく(mundane to profound)プロセスを重視します。既存のデザイン像に囚われていないこうしたTransdisciplinary Designらしさを、どうにかして日本に持ち帰りたいものです。


Professional Communication

自分がインスピレーションを受けた作品を紹介するポスターをつくるという課題が出ていました。私は前回の記事でご紹介したように小林賢太郎の作品から選ぶことにし、その中からラーメンズとしての作品の一つである『TOWER』を選びました。

約10年前に出会った作品を今でも好きであり続けているというのは、自分にとって珍しい気がします。自分の好みにもともと合っていたのか、それとも観続けたから好きになっていったのか。どちらにせよ、私にとってインスピレーションの源であることは確実です。

授業では、全員のポスターを教室の壁に貼っておき10分程度自由に見て回ったあと、3~4人で集まってそれぞれのポスターについて約20分ずつ話し合うという形式で授業は進んでいきました。

何よりもまず、みんなのポスターの完成度の高さに驚きました。そのまま商業用に使えそうなクオリティのものばかりなのはデザインスクールらしい。グラフィックデザイナーにならないとしても、デザインを扱う立場上ある程度グラフィックデザインを自分でできるようにならなければいけないのかもと思うきっかけになりました。

あとは個人的な戒めメモ。ポスターをつくる時はたくさんの写真や文章を載せて情報を詰め込みすぎてしまいがち。だからといって、情報を省きすぎると自分の伝えたいメッセージが伝わらない。過不足ない(Just enoughな)情報量を見極めるバランスを心掛ける。

ディスカッションに移った時、「ポスターを見てあなたのポスターってすぐに分かった」と言われました。インスピレーションを受けた作品と私に何か共通点を感じたということでしょう。逆に他のクラスメートのポスターを観るとその人らしさとの共通点が見えるものが多く、自分がどんなものを好きかというのがその人らしさを表すということを感じました。

終わってから「このポスターの作品を観てみたい」と言ってくれたので、YouTubeのリンクを紹介しました。日本語がわからなくてもある程度楽しんでもらえるはずですが、日本語でないと小林賢太郎の面白さが100%伝わらないのが悔しいところ。言語の壁め。


Anthropology and Design

今週は、人類学とデザインのコラボがテーマでした。ただ、人類学とデザインを組み合わせるといっても、さまざまな掛け合わせ方があり得ます。人類学的デザイン、デザイン的人類学、デザインを人類学する、人類学をデザインする等。その多様な事例を知ることができました。

また、「Designs for the Pluriverse」「Ontological Design」「Transition Design」「Design Justice」など、デザインの行く先を論じた書籍の有名どころを幅広く紹介してもらいました。そのほとんどが日本語訳されておらず英語で読まなければならないのが、欧米のデザイン論が日本に普及しにくくしているのではないかと思ったり。ここでも言語の壁が立ちはだかります。

また、この授業に限らずJusticeについて考える機会が多かった週でした。全員が納得できるようにはできない中で、Justiceは果たして実現可能なのか? 多様性のある社会とはみんなが幸せな社会ではなくみんなが少しずつ我慢する社会ではないか? 社会の方を変えるのに限界があるのならば、自分の辛抱強さを養うことも必要なのではないか? そんなことを考えていました。

「私はこれだけマイノリティの属性を持っているのだから、それに応じた恩恵を社会から受けられるべき」と不幸自慢になる社会もJusticeが実現しているとは言い難い。個人を属性で見ている時点で同じ土俵にある気がします。むしろ、一人ひとりを属性で見ないようにする社会の方がJusticeが実現した社会なのではないでしょうか? 「困っている人がいたら、相手が誰であれ助ける」というシンプルな話だと思うのですが。


Thesis1

修士論文のテーマは学生自らが決めていくのですが、お互いに相談しあったり情報共有をしたりして論文作成をスムーズに進めるために、似たようなテーマを扱う(予定の)人たち同士でグループを仮設定することになりました。

ホワイトボードに興味のあるトピックに関する単語をみんなでリストアップしていき、特に興味のある単語の近くに自分の名前を書いたポストイットを貼って仲間探しをするという方式でした。といっても、Transdisciplinary Designという曖昧さに惹かれた人の集まりだからか、「一つのトピックに絞れない」という感想がほどんどでした。

ちなみに、今回の授業の予習として見た動画が為になったので載せておきます。個人の経験が作品のインスピレーションになる様子がよくわかります。

これらの動画を観て、メッセージ(伝えたい内容)とメディア(伝える手段)を決めていかないといけないことにあらためて気づきました。私の場合、伝えたいメッセージはある程度固まってきている一方で、それをどんなメディアで伝えるのかはまだ決まっていません。ミニマリズム的・シンプルな方法という大まかな方向性はあるのですが、今後さらに詰めていく必要があります。


まとめ

今学期はどんなことをしていくのかがまだ見通せず、手探り状態です。ただ、自分の興味のあるテーマに関する修士論文を書き上げるという最終的なゴールは変わりません。各授業はあくまでも修士論文をより良いものにする手段であるということを忘れず、あまり振り回されないように気をつけようと思います。

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