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デザイナーとライターの交差点 #312

私は肩書を「デザイナー/ライター」としている。パーソンズ美術大学・Transdisciplinary Designで修士課程を修了したので「デザイナー」であると自負しているし、公私ともに文章を書いているので「ライター」で間違いないだろう。「どうしてデザインを学んだのにライターも名乗っているの?」という疑問を抱くかもしれないが、実はデザインにはライターの役割が必要不可欠なのだ。

「デザイナーは物語の達人」

デザインファームIDEOのCEO(当時)であるティム・ブラウンが上梓した『デザイン思考は世界を変える』からデザイナーとライターの深い関係性を表す一節を引用する。

デザイナーは物語の達人と考えることができる。説得力や一貫性があり、信頼できる物語を築き上げる能力が問われるのだ。デザイン・チームで、ライターやジャーナリストが機械技師や文化人類学者と肩を並べて仕事する機会が増えているのも、不思議ではない。

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デザインでは大量のデータを集めた後に価値あるパターンを抽出する「総合シンセシス」において、デザイナーとライターはデザイン・チームの中で協力しながら一貫性のある物語をつくっていくとされている。この一節によれば、デザイナーがライターの役目を兼任することもあれば、デザイナーとライターが分業されるケースもあるということだろう。

デザインにおけるライターの必要性は、この本が出版されてから十年近くが経った今でも変わらない。たとえば、2021年に英国デザインカウンシルが発表した「システミックデザインアプローチ」では、「ストーリーテラー」という「希望に満ちた未来を描き、その可能性や重要性について素晴らしいストーリーを人々に語る人」がデザインに必要であるとされている。

デザイン思考からシステミックデザインへと発展していったとしても、物語・ストーリーを紡ぐ能力を持った人は求められている。「ライター」「ストーリーテラー」というシニフィアン(単語)は異なるが、「物語でセンスメイキングをする人」というシニフィエ(意味)は変わらないとも言えるだろう。

生物と遺伝子、システムとミーム。

デザイン思考やシステミックデザインを確認すると、2Dや3Dでの表現力が大切であるように思われるデザインにおいて、文章という1Dで物語を表現できる能力を持つライターが必要であることがわかった。ここで、次元の話を持ち出すと、多次元的な関係性のあるシステムを文章という一次元に変換するのは不可能に思えるかもしれない。

しかし、生物という三次元で複雑なシステムも、DNAという一次元の塩基配列によって生成されている。生存と生殖に有利な形質は遺伝子として次の世代へと受け継がれ、その遺伝子から再び三次元の個体が生じる。このように三次元の生物と一次元の遺伝子を交互に繰り返している。

こうした生物と遺伝子とのアナロジーを使ってみると、ライターとはシステムを文化的遺伝子(ミーム)に翻訳する役割とも言えそうだ。ライターが文章にすれば、その文章を読んだデザイナーが新しいシステムを生み出すという連鎖が始まる。

デザイナー×ライターの責任

ここまでは物語をつくりだすことを肯定してきたが、物語は必ずしも「良いもの」というわけではないと警鐘を鳴らす本もある。『ストーリーが世界を滅ぼす』や『知ってるつもり』によると、ヒトは記憶や理解のためにストーリーを活用しているが、ストーリーは必ずしも現実をありのままに写したものではないらしい。つまり、物語・ストーリーとは、あくまでもこの世界を理解するための視点の一つに過ぎないのだ。

物語・ストーリーも人工物であり、テクノロジーと同じように良くも悪くも影響を与える。上手く使えばセンスメイキングの手段となり、悪用すれば人を自分の思惑通りに操ることだってできる。ライターやストーリーテラーを生業にするならば、この二面性を忘れてはならない。ただ、こうした物語の虚構性を自覚したとしても人間は世界を物語で理解することをやめられない。

こうした学びを踏まえて、二次元や三次元のデザインが主流である中で、一次元の文章に向き合うために「デザイナー/ライター」を名乗っている。私の書いた文章が「より良い世界の設計図」に値するならば、文化的遺伝子として未来へと伝わっていくはずだ。

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