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誰のためのデザインを目指すのか? #337

人生で何を求めているのか?

デザインにおいてはユーザーのニーズを満たすことが求められるが、そのニーズはその人の抱いている価値観次第である。そして、その価値観を考える際はキルケゴールによる実存の三段階が参考になる。

美的実存:刹那的で享楽的な欲望を満たそうとする生き方
倫理的実存:自分の良心に従い道徳的であろうとする生き方
宗教的実存:超自然的な何かと向き合い続ける生き方

この実存の三段階を踏まえると、それぞれの実存に合わないものは満足をもたらさないことが分かる。美的実存の人に倫理や道徳、宗教を説いても響かないし、倫理的実存や宗教的実存の人に世俗的な気晴らしを与えても満たされない。

実存の三段階は基本的に美的実存から始まり、倫理的実存、宗教的実存へと移行していく。ニーチェのニヒリズムと超人や、ウィリアム・ジェームズの病める魂と二度生まれの思想なども同様の変化の過程を表していると思われる。ちなみに、ブッダの生涯も実存の三段階で整理することもできる。

29歳まで:シャカ国の王子様として恵まれていた美的実存
35歳まで:瞑想と苦行を実践するが腑に落ちない倫理的実存
80歳まで:坐禅によって涅槃の境地を悟った宗教的実存


倫理的実存を救済すべし

この実存の三段階を前提とした時、私が特に興味を持っているのは倫理的実存から宗教的実存への変容を求めている人だ。人類全体で考えると、美的実存が80%、倫理的実存が15%、宗教的実存が5%くらいだろうか。デザインにおいても倫理的実存に向けてできることを考えていきたい。

倫理的実存を対象とすべき理由は、この段階が最も幸福度が低いからだ。美的実存が享楽的にこの世界を満喫し、宗教的実存が頼りとなる何かを見つけて安堵しているのに対し、倫理的実存はこの世界の気晴らしを楽しめないし信じられる対象もない。うつや適応障害といった精神疾患の発症も、美的実存から倫理的実存になった状態とも捉えられるかもしれない。

倫理的実存への俗世的な処方箋は、美的実存に戻ることだ。美的実存の虚しさに気づいていながらも、その中でマシな気晴らしを見つければいいのだから。こうして一度倫理的実存を経験した人の多くは美的実存と倫理的実存を往復しながら一生を終えることになる。でも、それは根本的な対処にはなっていない。倫理的実存が救われるには、宗教的実存に移るしかないのだ。


どんなデザインをデザインすべきか?

美的実存から倫理的実存への移行は、美的実存への飽きという消極的理由から起きることになる一方で、倫理的実存から宗教的実存への移行は何か神や超自然的な経験などの積極的な理由が必要である。そのためには、宗教的実存との実際の交流が重要になる。サービス提供の観点からすれば、以下のような対応関係になる。

美的実存は対象外。「いずれ役に立つかも」と知らせるのみ。
倫理的実存が対象。ユーザー・カスタマーとして関わる。
宗教的実存も対象。コーチ・ファシリテーターとして関わる。

既存のデザインと新たなデザインとの違いを「物語」を例に説明してみる。既存のデザインは美的実存と倫理的実存の狭間にある。たとえば、未来洞察やSFプロトタイピングなどは現在のテクノ資本主義を倫理的に考えるのに役立つとされているが、美的実存の人も対象とするならば、楽しめる物語づくりに勤しむことになる。

一方、新たなデザインは倫理的実存と宗教的実存の狭間にある。宗教的実存を踏まえるならば、楽しめる物語を考えるというよりも、物語自体を捨て去るように促すことを目指す。仏教的方法であれば瞑想や坐禅をすることになるだろう。

この対比は、ユヴァル・ノア・ハラリが『21 Lessons』で、大衆向けの介入策としてSFを挙げ、自身が全人生で最も学びのあった体験として瞑想を論じているのとも通ずるものがある。

私の目指すデザインは、倫理的実存にある人に対して別の物語を再提供して美的実存に戻らせるのではなく、物語という枠組み自体に惑わされない宗教的実存への移行を助けるデザインだ。この違いは強調してもしきれない。留学中の修了制作ではこのプロトタイピングをしていたのだと今になって思い返している。

倫理的実存から宗教的実存への移行を助けるデザインの時代が近いことは、デザインの歴史的変遷からも予測できる。デザインの始まりは「工業製品をいかに美しくできるか」という美的実存に合うテーマだったが、次第にエシカル、ソーシャルグッド、ネイチャーポジティブなど「社会的責任を果たすには」という倫理的実存を想定したテーマも取り上げられつつある。デザインも実存の三段階を経ているとすれば、いずれ「生きる意味とは」を問う宗教的実存も視野に入れたデザインが生まれていくはずだ。

この倫理的実存を救済するデザインを何と呼ぶべきなのか? 実存主義的デザイン、脱ニヒリズムデザイン、救済のデザイン、宗教的デザインなどが思い浮かぶが、どれもしっくりこない気がする。とりあえずはポスト倫理的デザインとしておこう。美的デザインや倫理的デザインが主流の現在で、ポスト倫理的デザインを模索したい。


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