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パーソンズ美術大学留学記 Week4 #068

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先週に引き続き、毎日学んだことをメモしているツイートを引用しながら、2021年9月20日~24日(Week4)を振り返ってみます。

先週はこちら↓


Design-Led Research(Provotype編)

プロボタイプ(Provotype)とは、provoke(挑発する、刺激する)とprototypeを組み合わせた造語です。プロ'ト'タイプ(Prototype)という言葉を聞いたことはありましたが、プロ'ボ'タイプは今回の授業で初めて聞きました。

プロ'ト'タイプは、ユーザーのニーズを把握して、どのような製品やサービスを作るかを明確にした後で、現時点で想像しうる完成品に近いものとして作る試作品です。デザイナーとしてはほぼ完成品だという状態の試作品をユーザーに使ってもらい、得られたフィールドバックをもとに修正するというイメージです。その時、多少の機能の変更はありますが、対象とするニーズの変更や、コンセプト自体の見直しはしないはずです。

一方、プロ'ボ'タイプは、ユーザーの隠れたニーズを引き出すことを目的とした試作品(Artifact)を使うリサーチの手法の一種です。この時点では具体的な製品やサービス像はまったく浮かんでいないので、プロ'ボ'タイプ自体の機能や形状は製品やサービスとは関係がありません。とにかくユーザーから何かしらの反応を引き起こすことを目的としています。

行動経済学などで、人間には数百のバイアスがあると言われています。プロ'ボ'タイプを通して人間を観察することは、こうしたバイアスに囚われていることに気付くきっかけにもなり得るのだとも教わりました。

ただ、こうして得られたデータを今後のデザインプロセスにどのように生かしていけばいいのかは皆目見当がついていません。ただひたすらに塵をまき散らして、周りが見えない状況に陥っている感覚です。まぁ、デザイン思考には、こうした先行き不透明感はよくあること。そのまま突っ走っていきます。


システム思考とは

システム思考を紹介した本であるドネラ・H・メドウズ 著「Thinking in systems」を題材にした授業を受けました。

システム思考とは、複雑な世界を「システム」として捉えて、システム全体の中から「レバレッジ・ポイント」を見つけ出し、そこに効果的な解決策をぶつけることで本当の意味での問題解決を試みるという思考法です(詳細は書籍に譲ります)。

授業内で紹介された例に環境問題の例がありました。環境問題は地球全体をシステムとして捉えなければなりません。たとえば、ペットボトルのゴミで海が汚染されていることを解決したいとします。そこで、捨てられるペットボトルで糸を作れるようにして、その糸で服を作ればペットボトルのゴミが減る、と考えたとします。一見すると、いわゆる「エコ」な活動をしているように思えます。

でも、実際はその服を洗濯すると洗濯時の摩擦などでマイクロプラスチックが発生してしまうため、むしろ深刻な海洋汚染に繋がってしまっていたという例が紹介されました。この例以外にも、「プラスチックバッグやプラスチックストローを使わなければいい」というような短絡的な解決策では本質的な問題解決はできないということが、システム思考から理解できます。


システム思考やレバレッジ・ポイントといった概念は、仏教の考え方と近いので、個人的にはかなり気に入っています。

仏教でも「因縁・因果・カルマ」といった視点を持っていて、「システム」と似ています。たとえば、仏教では、十二因縁という考え方があり、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死が繰り返されるという「システム」でとらえています。

そして、そのレバレッジ・ポイントは「愛(渇愛・執着)」の部分であり、この執着を捨てて十二因縁を断つことが、人生の苦しみを対処する方法(解脱)であると、仏教では解いています。渇愛を感じている「エゴ」に気付いて、その渇愛を手放すようにしていくことを薦めているのです。

そして、書籍では介入の方法は12種類あると書かれていますが、その中で最も効果的かつ最難関とされている方法は、「Transcending Paradigm(パラダイムを超える)」であり、その説明を「悟り(Enlightenment)」と表現しています。全ての偏見やパラダイム(仏教では邪見と呼ぶ)を相対化して、世界を「ありのまま」に見ることができるようになることこそが、最も効果的に問題を解決できる方法なのです。

仏教との関連性はさておき、デザイナーにはシステム思考のような世界の捉え方を理解することも求められているようです。


授業外での雰囲気

授業の宿題(Assignment)はグループワークがほとんどです。とは言っても、選択授業などもあるため、みんなで同じ場所に集まれないこともしばしば。そこで、Zoomで集まることがあります。議事録としては、MURALやMiroといったポストイットに書き込むような{なんともデザインっぽい)形式のプラットフォームを使うことが多いです。

ところで、今週クラスメートの中からコロナの陽性者が出たので、週の後半からはオンライン授業に移行しました。Withコロナ時代は、こうした臨機応変さが求められますね。念のために私も近所のテストセンターで検査を受けて、陰性であることを確認しました。


学科長にあたるディレクターとメールでやり取りしたよ、というツイートです。学科長だけでなく、先生方にメールをしたら日本よりも比較的早く返信が返ってくる印象です。

日々の授業でも、先生と学生がお互いにファーストネームで呼び合うなど、日本の先生と学生の関係よりも、カジュアルで距離が近いように感じます。堅苦しくなくて萎縮せずに済むので、個人的には過ごしやすい雰囲気だと感じます。


留学する≠英語が上達する

ある日、ルームメイトから「初めて会った時と比べて、英語が上手くなってる」と言われて、少し浮かれるという経験をしました。もちろん、まだまだ英語が聞き取れなかったり、自分の思ったことを英語で表現できなかったりと、もどかしい日々を過ごしています。ただ、確かに1ヶ月前よりは英語を使うことに慣れていっている気もします。

でも、ただアメリカで暮らしているだけでは英語は上達しないと感じています。スポーツで毎日試合に出ていても、練習をしていなけば上手くならないのと同じですかね。学校の授業を「試合」とみなすなら、「練習」として家での自学自習が必要です。学校の授業の予習・復習や、英語で映画やドラマを観るなどして、英語の音に慣れたり新しい表現を学んだりするべきだと感じています。

学校で数時間も集中し続けたら、「もう英語は聞きたくない」と思うほど疲れ切った状態になりますが、それでも家に帰って自分で英語を学ばなければ上手くならないという厳しい現実に気付きつつあります。

「留学する=英語ができるようになる」というわけではなさそうです。そう単純な因果関係ではありません。留学をする⇒英語を話すことを求められる場面に頻繁に出会う⇒思うようなコミュニケーションが取れない⇒自分の英語力のなさに愕然とする⇒「英語が上手くなりたい」というモチベーションを維持できる⇒英語を勉強し続ける⇒英語ができるようになる(かもしれない)、という「風が吹けば桶屋が儲かる」的な因果関係がありそうです。

留学をすること自体は英語上達の「レバレッジ・ポイント」ではないのでしょう。おそらく、「○○さん/君と○○の話題を英語で話せるようになりたい」といった目標を持つことが、英語が上達するための「レバレッジ・ポイント」ではないかと現時点では考えています。システム思考で言えば、3番目に効果的な方法ですね。今後も英語上達法の「レバレッジ・ポイント」を探っていきたいです。


まとめ

というわけで、今週はコロナに少し翻弄されながらも、無事にWeek4を終えました(NFLみたいな言い方で気に入っています)。デザイン思考のツールを実践を交えて学びながら、システム思考などのデザイナーの持つべきマインドセットも学んでいます。

それでは、今週はこれまで!

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