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南無阿弥ロック
「出目金が死にました」
通話ボタンを押した途端そう言われた。
何のことだ、とか、挨拶もなくか、とか、早速ネガティブか、とか、色んな言葉が頭を回るが結局口をついたのは「どうしたの?」だった。
“死んだ”という重い言葉のわりに淡々と、それこそ朗読しているかのような声色でますます真意が分からない。
電話の画面と耳との間が熱を持ち熱い。滑らかで硬いそれにじんわりと汗が移る。
「出目金?」
なにも答えが返ってこなかったのでまず何の話なのかを探る。
すると「起きてましたか?」と見当違いの方向の言葉が飛んできてたじろいだ。
話が通じない。寝ぼけているのか?
こっちの台詞だ、と言うのを“死んだ”で塞いで飲み込んだ。
「起きてたよ」
ふっ、と息がかかるのが聞こえた。
その音は安堵のため息なのか、それとも嘘を嘲笑するため息なのか、判別がつかなかった。
「あの夏掬った出目金が、さっき死にました」
あら、随分とまあ詩的で素敵ね。
その台詞は前から考えていたものなの?
さっきの音は自嘲のため息なの?
通話先間違えてない?
一纏めにして「そう」と返した。
「覚えてましたか?」
「ああ」
「本当に?」
「本当に」
「本当?」
「本当」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃない」
先ほどまでの静けさが弾け飛ぶように飛び交う中身の無い応酬。
最後に「良かった」と彼はようやっと感情を表に吐き出した。
忘れられることにそんなに怯えているのだろうか。
安堵と満足が耳を揺らした。揺らされ、画面の汗が雫になった。
「時間って虚しいですね」
熱くなった画面に溜まった汗の雫が髪の間を伝う。拭わず布団に垂れるままにしておく。
「もうすぐあの夏から一年経つ」
あつい。
「でも、一年も生きなかった」
ふいに、眼前に出目金の虚ろな目が現れ、消えた。
まだ夢をみているのかもしれない。だとしたら出目金は死んでいない。
「せっかく二人で掬ったのに」
ぽつりと呟く声。拗ねたような声。
あれから一年経つのか。あの気だるい暑い夜はもう一年も前なのか。
「一年も生きなかった」
繰り返す言葉が更に夢か現か分からなくさせる。
でも本当に死んでいるとしたらこれは現実か。
「きっと天国で元気にやってるよ」
慰めの言葉を安易に吐いた。
「ねえ、俺は嘘が嫌いって知ってますよね?」
汗が急激に冷え、シーツが深海に変わった。
「えっ」
「さっきから嘘ばかりついて」
「いや、」
「寝てたくせに覚えてないくせに思ってもないくせに」
これは夢か。夢であってほしい。出目金は生きているのか。
冷たい汗が止まらない。さっきまであんなに暑かったのに。あの夏の夜のように。
「どうせヤッたことしか覚えてないんでしょ」
氷の槍で肺を突かれた。声が出ない。
出目金の虚ろな目がギョロリとこちらを見た。身体が動かない。
氷の槍と虚ろな目は、電話の先の相手に似ている。
「謝らないでくださいよ」
「ごめ、」
「謝らないでって言ってるじゃないですか」
冷たい。深海に沈む身体が冷たい。
「時間って残酷ですね」
朗読しているような丁寧な声。
「出目金が死んじゃったんです」
相変わらずあの虚ろな目が暑い空気の中を泳ぎ、冷たい布団を見下ろしている。
相変わらずこの肺には氷の槍が刺さっており、身体を布団に縫い付けている。
「ねえ、この出目金の名前、なんだったか覚えてます?」
ふいに氷の槍が溶け、身体全体にぬるい海水が広がる。
声色がどうでもいい話をしているときのものになった。
気まぐれな奴め、と内心思った。
情緒不安定も相変わらずか、とも思った。
「え、ええとねえ」
やっと肺も溶けだし緩く声が出せる。
自分たちのことだ、すごく単純な名前をつけている。“クロ”とか“デメ”とか。
ああ、きっとそうだ。
「なんだっけなあ、なんか、かわいい感じのつけてたような……」
「ようなような?」
ワクワクと弾む声。
情緒の安定しない相手で良かったと初めて思った。
「クロちゃん、だっけ?」
「名前なんてつけてません」
それきり、相手の声は聞こえなくなった。
ヒッと息を呑み電話から耳を離すと、目の前の出目金が、とぷん、と音を立てて画面に飛び込んだ。
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